矢原堰沿いに走る(2)
安曇野にある矢原堰に沿ってサイクリングをしている。この地図でいうと、安曇野インターの右下の犀川沿いの取水口からスタートして、水路に沿って北西に進んでいるところだ。
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今回は後半なので、四角の中を拡大してまた撮影ポイントを記入していこう。
今回の撮影ポイント。
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ここは矢原堰の取水口から4.2kmくらいの位置。全体の半分くらいの地点だ。向こうにVAIOの本社が見える。右岸は道路というより土手という感じ。
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その近くにある水門。ここで水を2つに分けているが、分かれた水路も並んで同じ方向に流れている。
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住宅が減り周囲は農地になってきた。水路は2本並んだままだ。
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万水川(よろずいがわ)と交差する地点にやってきた。万水川は低い位置を流れているので、矢原堰は立体交差で向こう岸に渡る。橋にプレートが付けられ、「しゅん工平成12年4月」と書かれていた。橋の名前は矢原堰水路橋。
ところが、封鎖してあるので自転車が渡れない。仕方ないので隣の橋まで迂回することにする。
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この写真は、移動する前に振り返って撮影したもの。
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2本になった水路はここまで一緒に流れてきて、細い水路の水はここで万水川に流れ落ちていた。左側の幅の広い水路は、川を越えて向こう岸に渡る。
さて、隣の橋を渡り、矢原堰水路橋の反対側にやってきた。
橋の近くの道路脇に、石造りのモニュメントがあった。
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石碑の文字を書き写す。
旧めがね橋記念碑
ここに「めがね橋」という通水橋がありました。下を流れる除沢(よけざわ)(現万水川)の下流から上流を見た時、二つのアーチ橋が川に丸く映り、めがねに見えることからめがね橋と名付けられ愛されておりました。
矢原堰は、三百五十五年前の江戸時代初期の承応二年(1653)三月二十一日開通した安曇平で一番先に出来た水路です。
当時は木製の掛渡井(かけとい)でしたが、大正十年五月、御影石を組み合わせた洋風の見事な通水橋【写真】となりました。八十年余り親しまれた橋も、平成十一年六月三十日の豪雨災害で万水川が異状に増水し流失してしまいました。貴重な文化財を失い残念でなりません。
流された石を拾い集め、証拠品として「矢原堰通水橋」削刻のうち「矢」「原」「水」と、使われていた石材を用いてここに記念碑を建立しました。
平成二十一年三月吉日
安曇野市矢原堰土地改良区 理事長 小穴桓司
ということで、24年前までは石造りの通水橋が架かっていたというのだ。
その写真もモニュメントに据え付けられている。
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万水川を渡った矢原堰はほぼ北側に向きを変えて流れていく。再び住宅地に入る。
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ここは柏矢町地区公民館。ここは舗装されているが少し進むとまた砂利道になる。
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公園の脇を通る。そろそろ疲れてきているので、寄って確認する気力がなかった。
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歩道に道案内のペイント。矢原堰沿いに進むと、穂高駅・穂高神社・碌山美術館に行ける。
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変電所の脇を通ると、もうすぐ穂高神社。
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穂高神社に到着。写真は撮影したけど参拝はしなかった。
矢原堰は穂高神社の前を通ってまだ北側に流れているので、もう少し先を追う。
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堰は神社の北側の道路の手前で、右側に折れ曲がり下っていく。水路の幅が狭くなり流れも急になった。安曇野市のサイトの説明を見ると、穂高神社北側で「欠けの川」に流れると書いてあるので、ここが矢原堰の最終地点なのだろう。
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少し下流も見てはみたのだが、本記事はここまでにする。
さて戻るとしよう。この日は車を豊科南部総合公園に停めているので、そこまで自転車でたどりつかないといけないのだ。
公園に着いて距離計を確認した。45km走っていた。
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