高森町の復興記念碑(3)
1961年(昭和36)6月の大豪雨は、長野県の伊那谷に河川の氾濫や土砂崩れ、土石流などの災害を引き起こした。
昨年私は高森町歴史民俗資料館を訪れたのだが、その時初めて史料館敷地にある災害復興碑を見て、少し調べてみたのだった。
他にいくつかの石碑があることを知り、2回目の記事では旧下市田学校の近くにある石碑について書いた。
先日、他の石碑についても確認してきたので、今回はそれらについて書こうと思う。
上の地図には今まで私が訪れた石碑の位置を記入してある。今回見た石碑のある場所は赤枠部分の拡大図の方に記入する。
一つ目の石碑は、中央自動車道の下をくぐった近くにある。
道路からは石碑がこのように見えた。石碑の周囲は草が刈られていたので、きちんと管理されているようだ。
表には「昭和三十六年災害殉難者 慰霊碑」と刻まれている。石碑の裏側には、亡くなられた11名の方の名前が記されていた。
1961年6月27日、消防団は各河川の警戒に当たっていた。午後に水害の恐れがあるということで町長は消防団の全員出動と、地元民の協力を得て水防作業に当たる指示を出した。
午後7時頃、危険と判断して避難命令を出した直後に鉄砲水が襲い、田沢川沿いにいた人々を飲み込んだ。
流された人たちの遺体は28,29日に捜索・発見されたが、2名の方は行方不明のままだったという。
死者の中で一番若い方は14歳であった。大人とともに作業を行ない、子どもは帰るよう指示が出て帰宅途中に土砂崩れに巻き込まれたのだそうだ。
この石碑が建てられたのは、1971年12月のことだった。表の左下に高森町と書かれているので、町が建てた石碑だろう。
次は区域Bの拡大地図である。
2つめの石碑は、下伊那厚生病院の敷地に立っている。
こちらの石碑の文字は、「災害復興記念」だ。
碑の裏側の文字を書き写す。
「昭和三十六年六月下旬梅雨前線集中豪雨により伊那谷は未曾有の惨禍に遭いわが天龍社市田工場も大島川堤防の決潰により壊滅的大損害を蒙った これが復旧には筆舌に尽し難い幾多の困難を伴ったが天龍者構成会員および従業員一丸となって復興に努め関係諸機関の援助を得手障害を克服し遂に復旧のみならず転災為福の基盤を造成するに至った
ここに天龍社市田工場災害復興を記念し恒に当時を想起してその労苦を偲びつつ天龍社の使命達成に努めんがためこの碑を建立する
昭和三十八年十一月二日
下伊那生絲販売利用農業協同組合連合会天龍社
(以下役員氏名)」
現在は病院が建っているが、この場所には当時は天龍社があったらしい。
大正時代、下伊那の製糸組合は経営不振となっており、1918年に連合組合・南竜社を結成、1921年には参加範囲を広げるため解散し伊那社となった。しかし1928~29年の不況のため、組合連合会・天龍社を結成して経営の合理化を図った。
1936年に、この場所に天龍社の市田工場が建てられ操業を始めた。
1961年6月28日の午前0:40、大島川が決潰し工場は水に飲み込まれた。女子寮にいた従業員たちは、深夜濁流につかりながら避難したという。
天龍社は、災害後新たに機械を入れ生産を再開した。
しかしその後生産環境の改善が求められる中、工場の統合により1969年に市田工場は閉鎖されたのだった。
さて、3番目の石碑は、天龍川の堤防の近くにある。
この写真の左側の石碑には、土地改良記念と記されている。
裏側の文章を書き写す。
「昭和三十六年6月伊那谷を襲った梅雨前線豪雨に依り各河川が大氾濫 流石の惣兵衛堤防も二十九日夕刻遂に決潰美田四十余町歩を流失す 之れが復旧に当り堤防方線の後退が余儀なきに到り為に耕地約十町歩を更に失う事となる
災害に続く此の不幸に拘わらず関係農民は不屈の精神を発揮し流失を免れた約五十町歩の耕地の土地改良を行ない関係者全員にて耕地の再分配を行なう事を決定、農民の熱意は関係上級機関の協力な援助を生み災害より七ヶ年目の四十三年春遂に最後の換地事務迄一切完了す
茲に大災害の復興並に土地改良の完成を記念し碑を建てるものである
昭和四十四年春
下市田河原耕作者組合」
隣にあるのは水天宮の石碑だ。以前あった水天宮は1961年(昭和36)に流失してしまったのだが、1983年(昭和58)に再建されたものだという。近くに別の水天宮があるので、こちらは「昭和の水天宮」と呼ばれているそうだ。
なお石碑の前は、このように堤防となっている。ここはかつて惣兵衛堤防があったところだ。
惣兵衛堤防は1748年(寛延元)に飯田藩によって計画され、1750年(寛延3)着工、1752年(宝暦2)に完成した堤防である。1961年に決壊流失したが、その一部が現在も残されており、岩や石碑などが高森町史跡に指定されている。
【関連記事】
「高森町の復興記念碑(2)」(2023.06,17)
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【参考】
「高森町史下巻」(高森町町史編纂委員会編/1975)
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