旧格致学校(1)

2024-07-16

格致かくち学校の前まで歩いてきた。
だが残念なお知らせだ。
「格致学校の見学を希望される方は図書館カウンターへ声をおかけください」という掲示があり、見学時間は10:00~16:00となっている。私がここへ来たのは17:00過ぎだった。

仕方がないので、外観だけ見ることにしよう。
白壁に鎧戸がついた窓が並んでいる校舎だ。中央部は壁をアーチ状にくり抜き、少し奥に入ったところに玄関がある。

門の左右に木があるので、建物の全体が見えない。正面から少し左に歩くと全体を見ることができた。

この校舎の形の特徴は、一階より二階が小さいことだ。
長野県内に明治初期に建てられた擬洋風建築の学校はいくつかあるが、一般的には一階と二階の大きさは同じである。(1875年築の旧中込学校、1876年築の旧開智学校も一・二階は同じ大きさ。)
格致学校の場合は二階が小さく、擬洋風というより和風の雰囲気が感じられる。
それから、玄関の車寄せも旧中込学校と旧開智学校にはあるのに旧格致学校にはない。その点も和風に見える要因の一つだろう。

実はこの校舎はもともとここにあったものではなく、移築復元されたものだ。
学校が建てられた場所は地図の赤い丸印の場所である。移築された場所(現在地)は緑色の丸印の位置だ。
現在の地図に記したので、道路等の状況は当時と変わっているが、旧村の境界をオレンジの線で記してある。

格致学校は1872年(明治5)の学制に基づき、中之条村と横尾村が共同で設立した学校で、1873年に西念寺を校舎として開校した。翌年隣接した廃寺の一行寺を改修して移った。
横尾村は1875年に金井村・新地村・鼠宿村と合併して南条村となったが、南条村横尾組の子どもは引き続き格致学校に通学していた。
一行寺の校舎も手狭になったので校舎を増築することにした。しかし増築するより新築した方がよいということになり、新築に計画を切り替えた。
そうやって新築されたのがこの校舎だ。

校舎は1877年(明治10)に着工し、1878年の9月に完成した。といっても、1878年の4月からすでに校舎は使われており、授業をしながら外壁を塗ったり内装工事をしたりしていたらしい。

建物の横に回ってみる。
左側の白い標示は、一つは1976年に県宝に指定されたことを示す標柱。もう一つは禁煙のサインだった。
写真では分かりにくいが、右側の木の下に石碑が建てられている。

この石碑だ。
石碑の上部には「塚田善作翁之碑」と書かれている。

塚田善作(1843-1917)は格致学校の執事を務めた人物で、校舎新築の際には官有林の材木の払い下げを求め、また寄付を集めたり私財も提供して、村民に建築費の負担が及ばないように尽力をしたそうだ。
その後も奨学金の整備をするなど教育のために活動をし、後に村会議員や郡会議員も務めたという。
この石碑は1915年に建てられた。

学校の歴史に戻る。

1886年(明治19)、学区改正により中之条村・南条村を合わせて一学区とした。二つの学校を合併して南条小学校と命名。(合併したが、校舎は二ヶ所に存続していた。)
この時点で格致学校の名前は消えた。その後すぐ南条学校は安形(あがた)学校と改称された。

ところが1889年(明治22)に、県は一村一学区とすることにした。結局中之条学校と南条学校という別々の学校に戻ることになった。
格致学校として建てられた校舎は中之条尋常小学校となった。なおこの時から、今まで中之条校舎に通っていた南条村横尾組の生徒は南条尋常小学校へ通うようになった。

1907年(明治40)に義務教育が6年となり校舎が狭くなったので、1908年に隣接地を購入し北校舎(平屋建て 155坪)を増築した。

1908年時点の校舎の配置は次のような状態だった。北側に6教室ある校舎が建てられ、その南側には将来の建築予定地として点線が記されていた。

1922年(大正11)にも中之条尋常小学校は校地を拡張した。同じ年に奉安殿の建築が始まり翌年竣工した。大正天皇の御真影は1915年、皇后の御真影は1916年に下付されていた。

1941年(昭和16)、国民学校令により中之条国民学校と改称。
1942年、平屋建てだった北校舎を二階建てに改築(7月落成)。

そして戦後の1947年、国民学校は小学校と改称され中学校が併設された。

これは1947年の航空写真だ。建物が実際にどう呼ばれていたのか分からなかったので、私が勝手に名称を付けた。(多分違うと思うからこの名前を信じないで。)

北校舎と南校舎それから体育館らしき建物もあるが、南校舎と体育館がいつ建てられたものなのか、その記録を見つけることができなかった。

(つづく)

【参考】
「坂城町誌 下巻(歴史編2)」(坂城町誌刊行会/1981)
「県宝旧格致学校校舎移築復元工事報告書」(坂城町/1983)
「長野県史 美術建築史料編2(建築)解説」(長野県編/長野県史刊行会/1990)

甲信越地方

Posted by Sakyo K.