パダンの建物(1)

2009年9月30日、インドネシアのスマトラ島沖を震源としたマグニチュード7.5の地震が発生した。この地域は地震多発地帯で、付近では2004年、2005年、2007年、2012年にもマグニチュード8以上の地震が発生している。
2009年の地震は、震源はパダンの西北西60km・深さ80kmの海底で、西スマトラ州を中心に死者1,115名、重傷者1,214名 軽傷者1,688名の被害があった。住宅の被害は13,500戸が重度、65,000戸が中度、79,000戸が軽度の被害を受けたという。(2009年10月14日時点の集計)

インドネシアのパダンは16世紀から交易の中心であり、1633年から1942年までの大半の期間をオランダに占領されていた。(1781~1784年と、1795年から1819年はイギリスが占領。)
オランダはアラウ川沿いに街づくりを進めたので、現在も旧市街にはオランダの建築様式の建物が並んでいる。

ただしパダンの建物はオランダ様式だけでなく、中国の建築様式や伝統的様式の建物もある。また、オランダ様式も地元の気候に対応してスタイルが変化してきた。

地震前、パダンには70以上の歴史的建造物があったそうだが、その多くが被害を受けた。地震後危険を感じて解体されたり、資材として使われたものもあり、廃虚となってしまった建物が多かったという。
2011年1月には「2009年の地震で被害を受けたオランダ植民地時代の歴史的建造物の多数が、資金不足のため劣悪な状態である」と報道されている。(The Jakarta Post 2011/01/18より)

最近インドネシアの建物の記事を読んでいたら、建物の改修が終わったというニュースをいくつか見かけた。

たとえばこの建物。1908年に建てられた旧パダンシェ・スパールバンクだ。
画像は2015年7月に撮影されたストリートビューである。
1994年からはホテルとして使われていたらしいが、2009年の地震以後は放棄されて廃虚状態だ。

2018年まではこのままの状態だが、2019年から建物の前の道路工事が始まった。その後建物も修復されて、2024年1月には下の状態となった。今度はカフェとして使われているらしい。

もうひとつ別の建物を。
ジオ・ウェーリー&カンパニー・ビルと呼ばれている建物だが、これも2015年のストリートビューだ。

これが2024年にはこのように改修された。
レストランとして営業を始めたようだ。

このように古い建物が手入れをされてきちんと使われるようになったのを見るとうれしいものだ。

…そんなわけで、パダンの建物をモデルにしてポップアップカードを作ることにした。

パダンの歴史的建造物についてはまだ詳しく調べられていないので、他にも選ぶべき建物はあるのだろうが、暫定的に、ポップアップカードのモデルとして私が関心を持った建物を地図に記入してみた。
モスクと、オランダ様式の建物から、いくつか選び出したものだ。

番号は建築年代順に並べてある。①と②のモスクは19世紀前半、③~⑦は20世紀前半に建てられたものだ。上のストリートビューで示した建物は地図の④と⑤の位置にある。

まずはストリートビューで確認した二つの建物をポップアップカードにしてみた。

一つ目。
旧パダンシェ・スパールバンク。

実際の建物では柱と壁にはこれほど段差があるわけではないのだが、カードが折り畳めるように誇張して作ってある。

インドネシア独立後は「西スマトラ貯蓄銀行」として使われていたので、入口の横のプレートには「Bank Tabungan Sumatera Barat dahul u Padangsche Spaarbank(西スマトラ貯蓄銀行・旧パダンシェ・スパールバンク)」という札が取り付けられている。

二つ目の、ジオ・ウェーリー&カンパニー・ビル。

ジオ・ウェーリー&カンパニーはオランダの企業だったようだ。この建物はおそらく1926年に建てられた。第二次大戦前の写真を見ると、建物の前の通りには鉄道が通っているのが見える。

最近の航空写真を見ると建物の北側に倉庫のような棟が二棟並んでいる。手前のビルと繋がっているのではないかと思い一緒にカードに作ったが、本当にそうなのかはよく分からない。

他にもパダンの建物のポップアップカードを制作中なので、それが出来てからメインサイトを更新する予定である。