ポップアップカード・モザンビークの世界遺産
モザンビークの世界遺産となっている「モザンビーク島」。
この島は8世紀頃から貿易拠点として利用されていましたが、16世紀に入植したポルトガル人の手で要塞や聖堂、宮殿などが建設されていきました。
上のポップアップカードのモデルは、モザンビーク島にあるノサ・セニョラ・デ・バルアルテ礼拝堂。1522年に建造されたそうです。この礼拝堂、南半球では最古のヨーロッパ建築とされているのだそうです。
ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を回ってモザンビークにやってきたのが1498年。
インド航路を開拓したポルトガルは、モザンビークへも進出していきます。
1507年には最初の要塞が作られ、守備隊を常駐させました。ヨーロッパからインドに向かう商船はモザンビーク島に寄港し、補給や船の修理を行なっています。
1558年には、今も残るサンセバスティアン砦の建設が開始され、1585年から駐留軍が駐屯するようになりました。
1607年~08年には、モザンビーク島はオランダの侵略を受けました。攻撃には耐えたのですが、島内の施設で破壊されたものも多かったそうです。
例えばこのとき破壊されたミゼリコルディア聖堂は、1702年に再建されましたが、聖堂内部の霊廟も荒らされていて、完全な修復は1936年までかかったそうです。
こちらの写真のモデルは、サント・アントニオ教会。日本語表記ではサン・アントニオと表記する場合もあります。教会の歴史はよく分からなかったのですが、16世紀(もしくは17世紀?)の設立で、18世紀後半、19世紀前半にそれぞれ再建されたという記事を見つけました。現在の建物は1969年に修復再建されたもののようです。
(この部分はポルトガル文化省が運営する建築遺産のサイト「SIPA」を参考にしたのですが、機械翻訳して拾い読みしただけなので、正確か自信はありません。)
1750~1840年は、奴隷貿易が行われた時代です。1762年、島はゴア総督の管理下を離れ、ポルトガル直轄の植民地になりました。
1810年にモザンビーク島はポルトガル領東アフリカの首都になったので、大陸からの移住が増えました。しかし、1869年にスエズ運河が開通したので外洋貿易に影響を与え、島の経済は衰退していきます。1898年に首都を大陸部のロレンソ・マルケス(現在のマブート)に移転することが決まります。
1947年には島の北方50kmくらいの場所、ナカラに港が建設され、島の経済に壊滅的な打撃を与えました。1967年、島の孤立を防ぐために大陸とつなぐ橋を掛けたのですが、これも逆に住民の流出を招いてしまったようです。
1975年にはモザンビークはポルトガルから独立しますが、16年間に渡って内戦が続き、国土は荒廃してしまいます。自力による文化財保護は非常に困難でした。
モザンビーク島は1991年に世界遺産登録され、1992年の内戦終結で文化財保護の動きが前進したところです。
日本政府は2008年からサン・セバスチャン要塞の修復に協力をしました。
さて、今回は、サント・アントニオ教会の型紙を公開しました。よろしかったらご覧下さい。
参考
「ユネスコ世界遺産12(中央・南アフリカ)」講談社
「モザンビーク島 サン・セバスティアン砦 再生への歩み」国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)
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