旧上伊那図書館(1)

2023-04-27

長野県伊那市に伊那市創造館がある。
これは側面の写真だが、左側に玄関があり、正面の一部分が4階で他は3階建となっている。

伊那市創造館は、2010年(平成22)に開館し、歴史資料の展示や収蔵を行う博物館、そして学習室・講堂をもつ生涯学習施設として使われている。
この建物は、もとは1930年(昭和5)に建てられた上伊那図書館だった。

建物正面。

旧い写真と比べると、窓がアルミサッシに変ってはいるが全体の印象はそれほど変わらない。

大正時代に上伊那教育会が図書館設立をしようと動き始めた。1919年(大正8)に伊那実科高等女学校が火災で焼失して空き地になったのだが、その土地を1923年に教育会が購入。建設資金募集を始めた。しかし関東大震災や1925年の上伊那の霜害などで活動はなかなか進まなかった。

その後、1929年に武井覚太郎が寄附をしてくれることになった。
伊那郡宮木村(現在の辰野町)出身の武井は武井製糸を経営する実業家で、図書館の運営費を伊那町や郡教育会が負担することを条件に、図書館を自費で建設し、寄附してくれることになったのだ。

玄関の東南にある武井覚太郎の銅像。建物の南側にある武井覚太郎の銅像。

武井は設計者の選任も自ら行い、毎週自分も建築現場に顔を出していたそうだ。
設計は森山松之助が担当し、その後を引き継いで完成させたのは黒田好造(よしぞう)だった。

1929年(昭和4)9月設計完了、10月起工式、1930年4月上棟式が行われ、同年12月19日に落成式・開館式が行われた。

竣工当時の図書館はこのようになっていた。(図は「財団法人上伊那図書館三十年史」より)

開館後の運営は伊那町からの毎年の寄附(2000円)もあったが金銭面では苦しく、郡内外に寄附を募っても集まりが悪かったようだ。中には「これは武井が建てた図書館なのだから、運営費も出してもらえば良かろう」と、寄附を渋る地元の名士もいたらしい。図書館の理事会は、その後も武井に費用を懇願し、運営費の半額を出してもらっている(1940年理事会)。
また、武井は1944年に死去したが、その時も遺言で一万円を図書館に寄附している。

1931年(昭和6)に満州事変。1934年から、図書館は徴兵検査の場所としても使われるようになった。
1942年には図書館内の金属供出があり、招集され出征する図書館職員も出てきた。
その後、建物の周囲には防空壕が掘られ、その周りには油をとるためのヒマが栽培されるようになった。
1945年4月にはミシンが120台運び込まれ、軍服を作る工場となった。当然館内閲覧はできないが、それでも貸出業務は続けていたそうだ。

終戦後軍服工場は閉鎖され、1945年10月から館内閲覧が再開された。
ところが1946年に進駐軍が駐留することになり、その間3ヶ月は図書館業務ができなくなった。

1960年には、雨漏り対策として4階部分に置き屋根を設置。

その後も窓枠の取り換えや水洗化、外壁や屋根の補修をして使い続けてきたが、建物の老朽化が進み耐震性も問題となった。

1994年に新たに伊那市立図書館が開館したため、この図書館は2003年に閲覧・貸出業務停止となった。蔵書整理を行い、2004年3月完全閉館。

エレベーターを設置し、本館の耐震化工事を行った。また、本館の南西側に収蔵庫を新築した。そして、2010年伊那市創造館として開館することになったわけである。

工事の結果、現在は竣工当時とは部屋割りも異なっている。
1階は学習室や体験学習室などの学習施設が設置された。
2階は、常設展示室と企画展示室に変わった。2階、配置図左上の書庫は当時の雰囲気のまま保存されている。
3階は現在も講堂として使われている。
4階の郷土資料室は研究室という名称になっている。

これは1階から2階への階段の途中。リニューアル工事で床や壁面は新しくなったが、この大理石の手すりは当時からのものらしい。

現在の建物の1階。

戦前のオルガンが展示されている。自由に弾いてよいと表示があった。

次回は、2階奥の書庫について書く予定である。

【参考】
「財団法人上伊那図書館三十年史」(上伊那図書館 1960年)
「上伊那図書館の歴史」(伊那市創造館パンフレット)

甲信越地方

Posted by Sakyo K.