神奈川県の建築(関東大震災後)

1923年(大正12)9月1日、神奈川県西部を震源とするマグニチュード7.9の地震が発生した。
この地震によって生じた災害は「関東大震災」と呼ばれる。
神奈川県では、横浜周辺や三浦半島、湘南、県西部など広い範囲が震度7相当の激震で、大きな被害を被った。県内の死者・行方不明者は32,838人にのぼる。

前回の記事で横浜市震災記念館のことを書いたが、関東大震災以後に建てられた神奈川県の建築をポップアップカードで作ったので本記事ではそのカードを紹介する。

上の写真は、旧横浜市震災記念館のポップアップカードだ。
前回書いたように、関東大震災の教訓を伝えようと考えて1928年(昭和3)に開館した建物だ。

震災前の建物が倒壊してしまったので、大正末から昭和初期にかけて新たに建て直された建築も多い。
次のカードは、旧田浦町役場だ。

合併して現在は横須賀市に入っているが、震災当時は田浦町だった。田浦町では建物の半数が全半壊となったようだ。1925年(大正15)に完成した。
この建物は現在も残っているが、空き家となっている。

今回作成したカードは2点だが、過去に作成したカード(メインサイトに掲載済)の中にも、震災後に建てられた建物があるので、合わせて紹介する。

神奈川県庁は震災で焼失したため新たに建造され、1928年に竣工した。

横浜地方気象台も庁舎が焼失し、1927年に建て直された。

横浜山手聖公会は、煉瓦造りの聖堂が倒壊し、1931年にこの聖堂が竣工した。

神奈川県の震災の被害は地域によって状況が異なる。

当時の横浜市では、26,623人が亡くなったのだが、24,646人が火災が原因で亡くなったのだという。
横須賀市では、死者665人中、495人が家屋倒壊による死者であった。
県西部では、山崩れや土砂崩れの被害が多かった。片浦村(現小田原市)では列車が山崩れに巻き込まれ海中に転落、百数十人が亡くなった。
鎌倉町では、家屋倒壊や火事の他に津波で被害を受けた。

画像は、当時の横浜市街の様子である。

今回は旧田浦町役場の型紙を公開したので、よろしかったらお使いください。
実際の建物はこの先利用予定もなさそうで、いつまで存在できるか分からないけれど。

【参考】
『関東大震災から100年』特設サイト」(気象庁サイト/2023)
関東大震災100年~過去・現在・未来」(神奈川新聞サイト/2023)