旧上田市民会館の解体が始まる

上田城跡にある旧上田市民会館の解体が先月から始まった。
写真の看板にあるように、工事期間は2026年8月19日までだそうだ。

この場所は江戸時代は上田城の武者溜まりだったところだという。上田市は解体後に発掘調査をして武者溜まりの復元を計画しているそうだ。

上田城跡は国史跡だから城があった時代の遺構を大切にするのは当然…というのは分かるが、明治以降の150年以上の歴史の蓄積も大事にしたいと思う。建物が解体され置き換えられていくのは仕方ないとしても、記録と記憶に留めるための方策は必要だろう。

上田市も市民会館の記録を残そうとしている。
例えば上田市行政チャンネルで「旧市民会館のココがすごい!」という番組を作ったり、上田市広報に建物の歴史を掲載したりしていた。
昨年には旧市民会館の見学会も開催された。(知っていれば参加したのに残念だ。)

旧市民会館が建てられる前、実はここには上田市公会堂があった。

1923年(大正12)に建てられた公会堂は、写真のような木造二階建ての建物だった。工事費は市民の寄付金11万2999円20銭でほぼ全額を賄ったという。2階には280畳の大広間、他に和室が3室あり、1階には54畳の洋室の他、貴賓室や事務室も含め和室が5室あった。
公会堂は1960年に解体され、その跡地に建てられたのが旧市民会館だ。

市民会館が建てられたのは1963年、東京オリンピックの前年だ。設計を担当した石本建築事務所は、その後旧上田市役所(1967)や上田市立図書館(1970)の設計も担当することになる。

石垣の上の土手から撮影したが、この写真では建物の形はあまり分からない。
右端の一番高い部分がステージ部分を覆うフライタワーで、中央上部がホール部分だ。ホールは円形なので外観も凹凸のある円形となっている。
玄関はホールの左側、写真では水色のショベルカーの左奥になる。

ホール部分をズームアップ。

こちらはフライタワー。

この建物は上田城の景観を意識して、高さを低くするように設計された。フライタワーの西側には上田城の南櫓があるので、その風景を圧迫しないためだ。建物を半地下にして高さを抑え、さらにフライタワーの壁面を少し斜めにして圧迫感を減らすよう工夫している。

玄関前には回廊で繋がった事務棟があるのだが、土手からは木に隠れて見えず、地面からだとフェンスに隠れて見えない。上部にある塔だけ撮影した。

場所を移動して、北西側から撮影。
中央がホールで、その右側がフライタワー。

ホール屋上に上る螺旋階段が見えた。

建物の西側からは、ホールは木に隠れてほとんど見えない。

この写真は分かりにくいが、奥に旧市民会館がある。そこから北側に工事用道路を設置してある。これは、東側のニの丸橋が工事用車両の重量に耐えられないため、解体資材の搬出を北側から行なうのだ。

工事用道路は北側の旧テニスコートに繋がっている。

過去の写真を探したら、昨年撮影した写真があったので2枚掲載する。

玄関部分はこんな形。
左奥に見えるのが、事務棟だ。

上田市は今後、武者溜まりの石垣や堀を再現し、合わせて多目的広場として使えるように整備するという。また本丸櫓の復元に向けて資料収集を行なっている。

ところで、私は上田市の文化財を考えるとき日本遺産の「レイライン」が頭をよぎってしまうのだ。なぜあんな話を市が公式に打ち出してしまったのか。信濃毎日新聞も嬉々としてレイラインの記事を垂れ流すし。
レイラインなんて言っている間は、上田市の文化財行政を冷たい目で見てしまうのよね。

【参考】
 「広報うえだ」2025年2月号(上田市発行)
 「旧市民会館のココがすごい!」(YouTube 上田市行政チャンネル/2025-02-16)

甲信越地方

Posted by Sakyo K.