旧武生公会堂のポップアップカード

2024-03-31

この写真は、2005年10月に制作した旧武生公会堂のポップアップカードだ。
もう18年も前の作品だ。先日旧福井銀行のポップアップカードを制作したので、自然と過去に作成したカードも見直すことになってしまったのだが、このカードを直したくなってしまった。

ファイルはまだ保存してあるのだが、当時は AppleWorks で作成していたので、今となってはファイルを開くこともできない。2007年にアプリの販売とサポートも終了してしまったのだ。
幸い、pdfファイルも保存してあったので、そちらを Illustrator で読み込んで改良し始めた。

実は2005年に作った時は塔屋上部の望楼が後付けだったことを知らなかったのだが、今回確認して、1950年に消防監視所として設置されたことを知った。

国立国会図書館デジタルコレクションの進歩で、以前は図書館のパソコンを使わなければ見られなかった書籍も送信サービスで自宅で見られる。おかげで武生市史なども自宅で見ることができ、2005年とは制作環境も調査環境も進歩していて嬉しい限りだ。

武生には明治時代には「南条郡公会堂」があって利用されていたが、1906年(明治39)に武生女子実業学校の校舎に転用したそうなのだ。それで大正時代には新しい公会堂を望む声が高まったが、経済的な問題で建設できないでいた。
昭和になり1928年に予定されている御大典(天皇即位の祭典)を記念して建設しようということになった。

建設予定地には当時武生病院があり、その建物と土地を蓬莱区が買い受け、その一部を武生町が買って建設することになった。資金は町が2万円、残りは区民や町民有志の寄附で賄う計画だった。
山本甚右ヱ門と佐藤吉兵衛の二人が2万5千円という大口の寄附をしたのでなんとかなったが、それでも町民にとっては負担感があり、異論も出ていたそうだ。

公会堂の設計は、安立活(読み方は未確認)が担当した。武生出身で、以前は京都府技師を勤めていた人物らしい。
1938年5月に着工し、翌年の1月に竣工した。

1948年に武生町と神山村が合併して武生市が発足した時にこの公会堂が市役所となった。1955年に新庁舎が建てられるまで市役所として使われた。
消防監視用の望楼が建てられたのは、市役所時代の1950年のことだった。

資料には当時の写真も掲載されているので、竣工時や市役所時代の建物の外観も分かった。2005年に制作したカードは、その時点の外観を参考にしたので、望楼があり、窓はサッシだった。

今回作り直すにあたり、竣工当時の雰囲気を再現しようと考えた。

それで作り直したのがこのカードだ。

玄関前の段差を作り窓が細かくなったので、以前よりも建物のサイズ感も感じるようになった気がする。

しかし。
実は以前から、このカードが物足りなく感じる原因は、窓に沿って縦方向に付けられている装飾(写真の矢印部分)が立体的に作られていないからだと思っていたのだ。

1枚の紙で作ろうとすると、窓を切り抜いたら紙がバラバラになってしまうので、いつもやるように別パーツを接着して作ろう。

このようなパーツを作って本体に接着した。

できあがったカードはこちら。

これでだいぶ実際の建物の雰囲気に近づいたのではないかと思う。

今回改めて公会堂について調べて、実際の建物を見たくなった。北陸新幹線も延伸したことだし、いつか見に行こうと思う。現在は博物館として運営されており、常設展と企画展を見ることが出来る。
当時の雰囲気を再現した貴賓室もあるそうだ。

【追記】(2023.03.31)
1枚タイプの型紙を公開しました。

【参考】
「武生市史 概説篇」(武生市史編纂委員会編/武生市/1976年)
「武生風土記 続編」(武生風土記編さん委員会編/武生市文化協議会/1979年)