グラン・バッサムの歴史都市

世界の文化遺産のポップアップカードを増やそうと思っているが、なかなか進まない。
カードを作るには、その文化財について多少なりとも知らなくてはならない。しかし私の世界の地理歴史に関する知識は貧弱なので、調べることに時間を費やす事になる。結果、カードの作成は先送り…悪循環だ。
作品でも記事でも、何か形にしていかないとモチベーションが保てない。そこで今回は下調べの段階でブログの記事を書くことにした。カードはまだ作成していないので、「地理・歴史(世界)」というカテゴリーを作った。

当サイトでは世界のポップアップカードを地域別に分けているが、現時点では西アフリカはまだ「準備中」と表示されたままになっている。それを解消するべく、今回はコートジボアールの世界遺産について調べた。2012年に世界遺産に登録された「グラン・バッサムの歴史都市」である。地図のように、ギニア湾に面したところにある街だ。

19世紀には、イギリスとフランスがこの地域の領有をめぐって争っていたが、フランスが現地を治めていた首長と条約を結んで要塞を建設する許可を得た。1843年に建設されたヌムール要塞は今は存在しないが、その要塞を中心に広がった街がグラン・バッサムだ。

グラン・バッサムは次の地図のように大西洋(ギニア湾)と潟にはさまれた細長い土地に発達した。現在は北の大陸側にも市街地が広がっており、こちらが市の中心になっている。北側は「ヌーボウ・バッサム」(新バッサム)、南の細長い土地が「アンシャン・バッサム」(古バッサム)と呼ばれている。
世界遺産に登録されているのは細長い土地の「アンシャン・バッサム」と、北側にある「灯台」である。

地図の下の方に薄茶色の四角形があるが、ここが1843年にヌムール要塞が造られた場所だ。
1884年から85年に、欧米14ヶ国が集まってベルリン会議が開催された。ここで列強によるアフリカの分割が話し合われたのだ。ここでフランスは自国の領有が確定したので、本格的な都市建設に乗り出した。
1893年にグラン・バッサムはフランス領コートジボアール植民地の首都に制定された。
フランスは土地を四つの区分(居住地区・行政地区・商業地区・ンズィマ人地区)に分け、街づくりを行なった。(ンズィマ人というのは、15~16世紀頃からこの地に住んでいる人々。)

ところが1899年に黄熱病が流行して多くの住民が死亡し、1900年に首都を25kmほど北西のバンジェルヴィルに移転した。グラン・バッサムは主要な港町として繁栄はしたが、再び首都になることはなかった。
首都はさらに1934年にグラン・バッサムから35kmほど西にあるアビジャンに遷都した。1983年に内陸部のヤムスクロが首都になったが、現在もアビジャンがコートジボアールの政治経済の中心である。

グラン・バッサムの話に戻そう。
首都ではなくなったものの、1901年に埠頭が建設されて1914年には灯台が完成し、この町は1930年代までは重要な港としての役割を果たした。
世界遺産に含まれるのは首都となった1893年から1930年頃までに建てられた建物だ。
どのような建物があるか調べながら地図に記入していったのだが、ストリートビューのデータがないので、建物の場所を特定するのに苦労した。分かった建物を地図に記入しただけなので、抜け落ちている建物もあると思う。

建物の写真を見て驚いたのは、どうみても廃虚にしか見えないものも世界遺産に含まれていることだ。屋根が落ちてしまい建物の壁だけが残っているもの、また壁や床に木が生えているものもある。
例えば旧ホテル・フランス(1900年築)や旧裁判所(1910年築)、ガナメ邸(1920年築)、エドゥアルド・アカ邸(1920年代築)などがそうだ。

世界遺産としては遺産の保存についても求められるが、今後どのようにしていくのだろう。
ただ、全てが廃虚というわけではない。旧フランス総督邸(1893年築)は現在は博物館として活用されているし、旧郵便局・税関(1894年築・1900年増築)も文化遺産会館として使われている。サクレクール教会は2004年に改修されて、宗教施設として現役である。
他にも使われている建物はあるので、廃虚もいずれは補修等をして活用する予定なのだろうか。

さて、とりあえずポップアップカードのモデルにする建物を確認することはできた。次回はこれらの建物のポップアップカードを何点か制作して掲載したいと思う。

【参考】
Historic Town of Grand-Bassam」(UNESCO 公式サイト)