ジョージアとトビリシの歴史

またポップアップカード作成のための下調べである。
次はジョージアの首都、トビリシの建物をモデルにしてポップアップカードを作ろうと思っている。

ジョージアは黒海の東側にあり、北はロシア連邦、南側はアゼルバイジャン、アルメニア、トルコと接している。なお、ジョージアは認めていないし国連加盟国の大部分も承認していないが、西側のアブハジア、北側の南オセチアは実質的には独立国家である。

黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方は古くから人が居住していたところで、紀元前4世紀から紀元後6世紀にかけてイベリア王国が存在していた。

11世紀始めにはこの地域にグルジア王国が成立し、11世紀末から13世紀に大いに栄えたという。建築や絵画などの文化が開花し、キリスト教美術や世俗的な文化が発展した。世界遺産となっているゲラティ修道院はこの時代に建てられたものだ(1106年創設)。

ゲラティ修道院(上の地図の赤丸の位置)

その後モンゴルやティムールの侵攻に遭い、またペストの流行もあってグルジアは衰退していった。15世紀末にグルジア王国は崩壊して、いくつかの王国や公国に分裂した。

トビリシを領地に含んでいたのは、それらの王国の一つのカルトリ王国だった。カルトリ王国は16世紀中頃から17世紀半ばまでペルシアの統治を受けていたが、1762年にカヘティ王国と連合し、カルトリ・カヘティ王国を建国した。国の範囲はおおよそ現在のジョージアの東半分にあたり、首都はトビリシに置かれた。

カルトリ・カヘティ王国は1783年にロシア帝国の保護国となったのだが、その後ガージャール朝ペルシアの侵攻を受け、トビリシは占領された。ペルシアによる占領は一時的だったが、その後の混乱の中でカルトリ・カヘティ王国は1801年にロシア帝国に併合された。
トビリシはロシア風にチフリスと呼ばれるようになり、総督府が置かれた。

19世紀は鉄道や鉱山や工場などの整備により諸産業が発展したが、利益を得たのはロシア人やアルメニア人、西欧諸国だったので、グルジア人には恩恵が少なかったようだ。

20世紀に入ると、農民運動や労働運動が広まった。1905年の農民蜂起ではグルジアに戒厳令が出され、ロシアは軍を派遣して鎮圧した。この時のロシア国内の暴動や騒乱はロシア第一革命と呼ばれる。

1917年、ロシア第二革命により帝政ロシアが崩壊すると、ロシアは北に退きトルコが進出してくることになった。1918年にコーカサス地方の国々で連邦を組んでザカフカース民主連邦共和国が成立したものの、トルコに対する立場の違いから連邦は解消された。
同年ドイツ軍の保護のもと、グルジア民主共和国が成立した。
しかしアルメニアやアゼルバイジャンと戦争状態になり、国内は混乱していた。独立国とは認められていたものの、グルジアは1921年に国際連盟への加盟を拒否された。

この年、ともにグルジア出身のヨシフ・スターリンとグリゴリー・オルジョニキーゼが軍事行動を起し、赤軍がトビリシを占拠した。2月にグルジア社会主義ソビエト共和国の発足を宣言した。

以後、ソ連の共和国となったが、グルジアは反中央意識が強く、1950年代以降は民衆運動がたびたび起こったそうだ。
1989年4月、ソビエト連邦からの独立を求めるデモがトビリシで行われたが、ソビエト軍に鎮圧されて19名の死者と数百名の負傷者が出た。(トビリシ虐殺。死者数は公式発表で、実際にはもっと多かったとも言われる。)
1990年、グルジアは主権宣言を採択し、国名をジョージア共和国に改称した。翌年国民投票で独立を承認し、独立宣言を行なった。

一方で国内では少数民族問題が噴出し、南オセアチアは1991年に、アブハジハは1992年に独立を宣言し、内戦状態に陥った。

21世紀に入ってからも、2008年に南オセチアを巡りグルジアとロシアの間で紛争が勃発し、グルジアはロシアと断交することとなる。
翌年から、グルジア政府は国名の呼び方をロシア語に由来する「グルジア」から英語由来の「ジョージア」に変更するよう、各国に要請を始めた。
日本は2015年に国名の呼び方を変更した。

おおまかにジョージアの歴史を追ってみた。私はまだよく理解できていない状態ではあるが、歴史を知ることでトビリシの建築のイメージが少しはつかめたように思う。

この地図は、Wikipedia や観光案内を見ながらトビリシの建物を拾い出したものである。(目に付いたものを掲載しただけなので、代表的な建物なのに私が見つけられなかったものもあると思う。)
この地図で一番古いのは、4世紀に建造されたというナリカラ砦である。砦は平地を見下ろす山頂に建てられ、その後の支配者たちに使われ、増築や改修をされてきた。
平地や山腹には、中世〜近世に建てられた教会が現在も残っている。ソ連時代に閉鎖されて現在も廃止されたままの教会もある。

地図の北側には19世紀に建てられた劇場などがあるが、これらは帝政ロシア時代に建てられたものだ。
20世紀に建てられた建築では、国立図書館や国立博物館は帝政ロシア時代、国会議事堂はソ連時代に建てられたものである。

ネットでジョージアの建築を検索すると、ソ連時代の建築に注目をしている人たちがいる。地図の範囲外なので掲載していないが、旧交通局ビル(現ジョージア銀行)やパレス・オブ・セレモニー、考古博物館など、一部で注目されているようだ。

それから〝トビリシ・観光〟で検索をすると、21世紀になってから建てられた建物(地図ではグレーに塗った)も出てくることが多い。
もちろん古い建物も観光名所として挙がるのだが、至聖三者大聖堂(2004年)や平和の橋(2010年)なども挙がる。

これからポップアップカードを作るのだが、中世〜近世の教会はもちろん作りたいが、他にもロシア時代かソ連時代の建物も作ってみたいと思う。
でき上がったらメインサイトを更新する。

【参考】
 「ジョージア(国)」(Wikipedia / 2025-12-21閲覧)
 「グルジアの歴史」(Wikipedia / 2025-12-21閲覧)
 「旧グルジアで見つけた謎のソ連建築を追え。」(Casa BRUTAS 2016-03-18)