尾張町町民文化館
この土蔵造の建物が尾張町町民文化館である。
もともとは1907年(明治40)に金沢貯蓄銀行として建てられたものだ。
現在は尾張町商店街振興組合が管理しているのだが、以前は県立郷土資料館の分館だった時期もあった。1986年に商店街振興組合に移管されたのだという。

では、中に入ってみよう。
ちなみに入館は無料である。
中に入ると、そこは(元)銀行の受け付けカウンターだ。
「金沢貯蓄銀行尾張町本店」と書かれた札が取り付けられているので、これが建築時の名称なのだろうか。(調べたら竣工時は「金沢貯蓄銀行本店」。)

最初の文と一部重複するが、改めて建物の沿革を記す。
1907年(明治40)金沢貯蓄銀行として新築落成。
1943年(昭和18)北陸銀行尾張町支店となる。
1976年(昭和51)尾張町支店が閉店。
その後、北陸銀行が建物を石川県に寄贈。石川県有形文化財に指定。
1977年(昭和52)石川県立郷土資料館分館町民文化館として開館。
1986年(昭和61)閉館。建物を尾張町商店街振興組合に移管。
カウンターのところで左を向くと、右の柱の陰のところに受付の方がいらっしゃって、建物内を自由に見学できると教えてくださった。

もとは銀行の営業室だったところ。
今は机はなく、椅子を並べた広間になっている。
2ヶ月毎にテーマを決めて展示を行ない、催し物やコンサートなどでもここを使うそうだ。

営業室の奥にこのようなアーチがあるのが面白い。
アーチの向こうには、現在はピアノが設置されている。

その右側にあるのが頭取室。

営業室の端には、地下に下りる階段がある。

地下には金庫室がある。この金庫室の真上が頭取室だ。
金庫室は老朽化のため立入禁止だったものを2011年(平成23)から改修工事を行なった。内装も入り口の扉もこの時に新しくしたものである。

現在はここも展示室として使われており、金沢貯蓄銀行の歴史が展示されていた。
展示によると、この建物の基本設計は長岡平三が行なったという。他に、富山県の十二銀行(1933)や旧中越銀行(1909:現在の砺波市砺波郷土資料館)も設計した人物だそうだ。
建物は、外観が和風で内部意匠が洋風という興味深いものだ。和風の屋根を支える小屋組みは、洋風のキングポスト・トラスだそうだ。真束を伸ばすなどの工夫で屋根の反りをつくったという。
尾張町は藩政時代に名古屋から招いた商人を住わせた町で、金沢貯蓄銀行は1893年(明治26)にここで開業した。その後1907年に本店として建てられたのが現在の建物だ。
1932年(昭和17)、金融事業整備令により銀行の合併が進められた。
1933年7月に十二銀行・高岡銀行・中越銀行・富山銀行と合併して北陸銀行となった。12月、そこに金沢貯蓄銀行も合併し北陸銀行尾張町支店となった。
階段を上がり営業室へ戻る。
営業室の柱と天井。

集金人室の入り口の装飾。デザインは頭取室の入り口と同じ。

1976年(昭和51)7月、北陸銀行は尾張町支店を金沢支店に統合し、尾張町支店は閉鎖された。8月に銀行から石川県に寄贈され、九月に石川県指定有形文化財に指定された。
1977年1月に、石川県郷土資料館分館・町民文化館として開館した。藩政時代から今までの町民文化財を展示する施設で、獅子頭や獅子舞が展示の中心だったようだ。

1986年(昭和61)に石川県立博物館が完成したことにより、県立郷土資料館分館は閉鎖されることになった。
この後、地元の尾張町商店街振興組合がこの建物を取得した。現在は商店街が文化館を運営している。
記事の最初に「金沢貯蓄銀行尾張町本店」の札が付けられていることを書いたが、おそらく自分たちが運営している施設に自分たちの町名「尾張町」を入れたくて、あえて名付けたのだろう。
【参考】
「石川県の文化財」(石川史書刊行会・石川県の文化財編集員会/石川県教育委員会/1985)
「のれんが"粋づく"あきない街拾の物語り:老舗の街尾張町史にかえて」(石野琇一著/尾張町商店街振興組合/1991)
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