清原啓子展

須坂市立博物館の1階は、右側が無料のガイダンスルームとなっている。内部の写真は撮らなかったが、壁面には須坂市の博物館や文化財の案内パネルが展示され、テーブル上にはリーフレットが置かれている。

博物館分館だけでなく、市内の施設や観光地のパンフレットも置かれていた。
そこにあった一枚のリーフレットに目が留まった。

私が気になったのはこのリーフレット。「夭折の銅版画家 清原啓子展」とあった。

須坂版画博物館で行なわれている展覧会のリーフレットだ。市立博物館のリニューアルと同じ7月17日に始まっている。
予定では博物館分館となった笠鉾会館に行くつもりだったのだが、予定を変更してこちらに行くことにした。

須坂版画美術館に到着。入り口のところにポスターが掲示されているが、日光が当たってこの冩眞では真っ白になってしまった。

近くで撮ったのがこちら。それでもかなり白く写ってしまった。

清原啓子(1955-1987)はエッチングを制作した版画家だった。
1980年、多摩美術大学大学院時代に第48回日本版画協会展に入選、1982年に日本版画協会賞を受賞し、83年からは個展を開催するようになっていた。
しかし1987年に心不全で急逝、残された作品は30点だけだという。

リーフレットやポスターに使われているのは、「海の男」(1981年)という作品。
幻想的で神秘的な世界を表現するのが彼女のテーマだったようだ。
何点かは精密な下絵と並べて展示されていて、両方を比べることもできた。

リーフレットの裏面に作品が掲載されているので、それを撮影したものを掲載する。

「詩人-クセノファネス」(1981年)

「孤島」(1987年)

会場で作品を見ながら、デューラーの「メランコリア」を思い浮かべたり、それから昔、荒俣宏が編集したヨーロッパの版画など画像を集めた本を買ったのを思い出したりした。
彼女の生年も自分とそんなに離れているわけでもなく、自分の若い頃の関心のある分野と近い印象もあり、今回初めて知った版画家ではあるが親しみを感じたのだった。

展覧会は、9月20日まで開催されている。

美術館の建物は円筒形の壁面が続いているので、どうなっているのかと思い周囲を歩いてみた。

玄関から左側に回り込むと、壁面に穴が開いて中庭に入れるようになっていた。この辺りは本当にただの壁なんだね。

建物の形がよく分からなかったので、最後に航空写真を掲載しておく。上の写真は、矢印の位置から撮影したものである。

(訪問日は7月です。)