水害3年目~長野市長沼(1)
令和元年東日本台風による水害の被害から3年が経った。
水害から1年経ったとき、私は長野市の長沼地区にある玅笑寺に水害の写真展を見に行った。
その時に周辺も少し歩いたのだが、水害の跡が大きく残ったままだった。
長沼体育館も水に浸かり、このような状態だった。
最近、長沼体育館はもう復旧しているということをニュースで聞いたので、今年の10月再度訪問することにした。
長沼体育館はきれいになっていた。私が訪れた際は、体育館の中で地元の方々が行事の準備をしていた。
体育館の正面。今年の8月に復旧したらしい。
徐々に復興は進んでいるようだ。
これはニュースで聞いただけだが、長沼神社では10月9日に4年ぶりに秋祭りが開催され、獅子舞も奉納されたという。
2年前、体育館の東側には消防団の長沼分団詰所があった。
分団詰所の建物は撤去されて、体育館の前に長沼分団車庫が設置されていた。この写真では見えないが、車庫の裏側には水防倉庫がある。
ただ、水害前のストリートビューを見ると、体育館前のこの位置には長野市水防倉庫の他、いくつかのスチール倉庫が並んでいた。多分水害で倉庫は流されてしまったので、元の位置に建て直し、車庫を追加したのだろう。
体育館の南側では、県埋蔵文化財センターによる発掘調査が行なわれていた。現在、長沼城跡の発掘調査をしているそうだ。発掘現場には今後、河川防災ステーションが建設される予定らしい。
体育館の東の堤防に上がってみた。北側では工事が行なわれている。
北に少し歩いて、玅笑寺の境内に下りてみた。
こちらは2年前の写真。
現在は、壁はきれいに補修されていた。(今回はお寺の中には入らなかった。)
歩いて再び体育館の方に戻る。2年前は体育館の斜め前に、閉鎖された長沼支所の建物があった。
上の写真と同じ方向から撮影した、今年の写真。
建物は完全に撤去されていた。ここに新たな庁舎を建てるのかもしれない。
市の業務は、現在も仮設庁舎で行われている。
以前あった「がんばろう長沼」の看板は、仮設庁舎の西側に移されていた。奥のプレハブには、住民交流ハウスという表示がある。ニュースを検索すると昨年6月に設置されたもので、千曲川の工事情報の発信と住民交流の場とするということだ。予定では、2023年5月までの開設らしい。
もう少し周囲を歩いてみる。
(つづく)
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