軽井沢歴史民俗資料館
10月の終わり。軽井沢町歴史民俗資料館を訪れた。ここで開催されている「ポール・ジャクレー展」が、10月31日で閉幕となるのだ。
2年前に軽井沢の追分郷土館で開催された時に見に行ったが,ジャクレーの作品を見るのはそれ以来である。
私はグズグズしたやつなので、展覧会は閉幕間際の駆け込みになってしまうことが多いのだが、今回もギリギリだ。(そしてブログに書くのは更に遅れてしまうというのも毎度のことだな。)
ポール・ジャクレー(1896~1960)はフランス生まれで、3歳の時に来日して以来、日本で生活をした。38歳のときから版画の刊行を始め,南洋や日本,韓国や中国など様々な国の人々を描いた。
今年のリーフレットで使われている作品は「太平洋の神秘、南洋」という、1951年に刊行された作品である。
ジャクレーが制作した版画は,絵と彫り、摺りをそれぞれ別の専門家が担当して制作する「新版画」と呼ばれたものだ。作品リストを見ると,上の作品は、彫師が前田謙太郎、摺師が本多鉄之助と記されている。
今回のジャクレー展は資料館の一室のみの展示なので、作品が19点、それから版木が3枚という展示だった。展示作品の中で最も古いものが1934年作,最も新しいのが1958年作だった。
作品の色をみていくと,時期によってなんか印象が異なるような気がした。目に付いたのは青・水色。戦後になるとセルリアンブルーが使われているように感じたのだが,戦前は藍色系のような感じ。絵の具の種類が戦前と戦後で変わったか、増えたのかしら?と思った。(調べてはいないので根拠はない。的外れかもしれない。)
私は見られなかったのだが,去年もここでジャクレー展が開催されていた。
資料館では,今後も作品を入れ替えながら毎年秋にジャクレーの展覧会を開催していくそうだ。(9月~10月の予定)
ジャクレー展は撮影不可だったが、歴史資料館の常設展示は撮影が禁止されていない展示もあったので、今回私が撮影したのはこれ。
アプト式鉄道で使われていたラックレールだ。
碓氷峠越えの工事は1891年(明治24)6月に着工し,1892年12月に完成した。(鉄道の開通は1893年4月。)
アプト式の導入によって鉄道は開通したのだが、その工事によって亡くなった人は500人にも及ぶのだという。
今回もう一つ開催されていた展示が,「写真・ハガキで見る歴史展 軽井沢の今昔」という、これまた私の好きなタイプの展示。
他の方は家族で来ている方が多く,写真を見ながら楽しそうにいろいろ語っていた。私は単独行動なので一人で見ているだけである。
この展示は、写真を見ながら人と語るのが〝正しい〟見方だと思ったね。単に羨ましかったんだけど。
あと個人的には。この展覧会でも数枚デジタル着色写真が掲示されていて,それはちょっと嫌だなあと思ったことも付け加えておく。好きじゃないんですよ。
博物館が、事後着色した写真を歴史資料みたいに展示しちゃうのって、良いことだとは思えないんだよな。
さて。
この資料館に入館すると,すぐ近くにある旧近衛文麿別荘にも入れるのだ。
次回はその話を書こう。
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