旧志賀小学校 見学会&おそうじ会

旧志賀小学校は長野県佐久市にある、すでに閉校した小学校である。
11月9日に開催された「旧志賀小学校 見学会&おそうじ会」に初めて参加させていただいた。「旧志賀小学校保存・活用有志の会」の主催行事で、多分今回が3回目になるのだと思う。

旧志賀小学校の玄関が開いて、軒下の電球が点灯している。
私は個人的に撮影しているので人物の写った写真は掲載しないが、当日は子どもから大人までおよそ50人くらいの参加者があった。

当日は市の学芸員の方の校舎説明があり、私は始めて南校舎の中を歩いた。
この日初めて知ったのだが、実は南校舎は建築当初は現在の形ではなかったというのだ。
いただいた資料の中に、「東村誌」に掲載されている校舎配置図があった。それをもとに簡略化して描いたのが次の図だ。

南校舎は1901年(明治34)に竣工した校舎だ。北校舎は1924年(大正13)竣工なので、この配置図は明治時代末から大正時代前半頃のものだろう。
図を見ると、校舎の西側に雨天体操場があったのだ。現在残っているのはクリーム色で着色した部分である。東側の大きな部屋はもとは講堂だった。
校舎の北側にある物置はおそらく、旧志仁学校の校舎を移築したものだと思うのでクリーム色で着色した。

では、校舎の中を見学させていただこう。
ここは玄関ホール。北校舎ができる前はおそらく生徒と教員の両方がここを使ったのだろう。

廊下は天井が高い。
廊下や教室には現在も佐久市文化財課の資料が置かれている。だから「倉庫」としては現在も校舎は使われているということになる。
突き当たりのドアは、閉校前は図書室だった部屋。

廊下を右に曲がると、壁際に資料が積まれている。突き当たりの部屋が旧講堂だった部屋。閉校前は音楽室だった。

講堂の天井の装飾。もとはここにシャンデリアが吊り下げられていた。
天井のボードは後から張ったもので、当初は和紙を重ねた天井だったそうだ。

壁と天井の境目の装飾。


旧講堂の中にはスチール棚が設置されて資料が保管されていた。他の部屋も少し覗いて見たが、同様に資料が棚一杯に詰まっていた。

見学の後は、校舎内の清掃だ。私も雑巾で掃除させてもらった。

清掃後は、北校舎に移動してモップ掛け競争である。この廊下をモップを押しながら走ってタイムを競う。子どもも大人も参加して盛り上がっていた。
その後、二階に上がって紙飛行機のとんだ距離を競うイベントもあった。

終了後は学校の敷地の向いにある公会場へ移動して表彰式と昼食会だった。私はそちらの方は遠慮した。

最後の写真は、北校舎の二階から見た渡り廊下と南校舎。

旧志賀小学校の閉校は1990年のことなので、当時の1年生ももう40歳を過ぎている。今日の参加者の子供はもちろん、保護者の方の中にもこの学校での生活を知らない人はいるだろう。
校舎で学校生活を送ったことのない人たちも、こうやって地域の行事に参加して建物を使うことで旧校舎の体験をして建物が自分の生活の一部になっていく。だから、とにかく建物は使うべきだと私はいつも思っている。
卒業生ではない私も、この校舎の経験が一つ増えたのだ。こういう機会を作っていこうとしている保存活用・有志の会を応援していきたい。

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