旧長野市民会館の写真

保存用のハードディスクの過去データの中に、昔撮影した写真を見つけた。
今はもう存在しない長野市民会館の写真だ。

これは正面玄関の風景。階段を上って二階の入り口から入るようになっていた。
長野市民会館は2011年に解体されて、跡地には長野市芸術館が建てられて2016年に開館した。

市民会館が解体される前の2010年3月に見学会があって私も参加したのだ。
写真を撮影したのに記事も書いていなかったし、写真を使うこともなかった。
このままハードディスクの中でデータを朽ちさせるより、自分のブログに記録を残しておこうと思ってこの記事を書き始めた。
もう記憶も曖昧だが、写真を見返して覚えていることを書いていこうと思う。

ここが入口。
図面を見たら、この下の1階にはボイラー室や電気室、空調室など設備関係の部屋があったのだ。当時は意識していなかった。

正面の壁には色ガラスがはめ込まれていたので、ホワイエから見ると次の写真のように見える。

非常口の表示が馬鹿でかく目立っているが、市民会館が建てられたのは1961年なので、当時は非常口の表示はなかったはず。
設計は佐藤武夫設計事務所が担当した。

階段を上って、ホワイエを見下ろして撮影。当日はカメラを担いだマスコミの取材の人も来ていた。
この写真の右側に下る階段があって、ホールの1階につながっている。

見学会ではボイラー室も見せてもらえた。もっと室内の様子が分かる写真もあったけど、人が何人も写っているので仕方なくこの写真にした。

ここは1階にあった楽屋。入口から入ると、ホールの右側に楽屋があった。

ホールのステージに上がった。
座席数は固定席1,716席、補助席500席と、建てられた当時の書籍に書いてあった。
ステージは間口20m、奥行き14.4m。

ステージの袖。緞帳やいろいろなものを上げ下げするロープがぶら下がっている。

ホールの二階席から見たステージ。

これはステージの横にあった音響室か何かかな?(何をする部屋なのかよく分かっていない。) どこにあったのか、場所の記憶も曖昧だ。

ステージの上の通路にも上れた。スポットライトが設置されていて、ステージを見下ろした写真もあるのだが、ここも記憶が曖昧。

ここは、2階の正面ホワイエの横にある小ホールのようなところだ。(図面ではここもホワイエと書いてある。)ソファがあって休憩できるようになっていた。
左奥の廊下のように見える所はロビーで、壁面を使って展示なども行われていたようだ。

ホール側のホワイエに戻ってきた。
座席案内図がある。4枚前のホールの写真で「二階席」と書いてしまったけれど、この図を見ると後ろ側は3階席だったようだ。(後で図面も見たら3階の平面図に含まれていた。)

ホワイエには当時の図面も展示してあった。

この建物は1963年の第4回建築業協会賞を受賞した。
その選評を見ると、ローコスト建築だったらしい。
一部を引用する。

「この会館の設計上最も苦心された点は、固定席一脚あたり10万円内外(坪当り約8万円)という非常に安い建築費にあった。だから会館の機能がある程度抑えられたことは止むを得ないとして、その設計は小細工を避けて極度に単純化され、使用材料も打ち放しコンクリート、煉瓦、石綿波板、木毛セメント板等の素朴な材料に限定された。然しこのため却って、ロマネスク建築を思わせる重厚なたくましさを透しブロックの優しいレースで包んだ不思議な魅力をかもし出すこととなった。自動車の通路を巧に処理して、市庁舎との間を野外集会場として生かした手法は見事なものである。」

(出典は「建築業協会賞作品集 第4回(1963)」、選評は竹山謙三郎氏。)

当時長野市は財政難で、市民に工事費の3分の1の5,000万円の寄付を呼びかけたという。1960年から63年までに4,260万3,552円の寄付が集まったそうだ。

見学時には説明もあったのでいろいろ話は聞いたはずなのに、もうほとんど覚えていない。そういう金銭面の話もあったんだろうか。
当時記憶の新たなうちに見学会の記録をまとめておくべきだったと後悔している。
でも写真が朽ちる前に使うことができて良かったな。

実は写真では他に残念なことがあったのだ。最後、見学が終わって建物の外観を撮影したのだが、何をミスしたのか、ことごとくピンボケだったのだ。
14年前の撮影ミスに今頃気付いてしまったよ。

【参考】
「建築業協会賞作品集 第4回(1963)」 (建築業協会/1963)
「長野市公文書館便り vol.26」(長野市公文書館/2016)

甲信越地方

Posted by Sakyo K.