旧金沢偕行社

金沢市にある国立工芸館を訪れた。
かつて東京にあった東京国立近代美術館工芸館が、2020年10月に金沢市に移転し、通称「国立工芸館」として開館したのだ。(2021年に、通称を正式名称にした。)
日本海側で初の国立美術館であり、展示拠点を広げることで国立美術館の発信力を高め、工芸分野の発展に寄与することを目的としている。合わせて、政府関係機関を地方に移転することで、東京一局集中を是正するという意味もある。

写真の建物は、左側が旧第九師団司令部、右が旧金沢偕行社(第九師団偕行社)である。
旧司令部を展示室に、旧偕行社を管理棟にして、間にガラス張りのエントランスを設けている。

旧金沢偕行社。
この建物は、150m北東にあった建物を、移築して整備したものだ。移築に当たって建設当時の色を再現したという。

2008年にこの建物のポップアップカードを作った時に、建物について少し調べたのだが、その時は
(1)1898年(明治31)金沢市大手町に竣工。
(2)1909年(明治42)金沢市石引に移築。
(3)2017年(平成29)国立工芸館として利用するために解体移築工事開始。
ということだと思っていた。

しかし、工芸館の玄関脇にある説明板を見ると、どうも違うようだ。

説明板には次のように書かれている。

「旧陸軍金沢偕行社
旧陸軍金沢偕行社は、将校の社交場として、明治42年に金沢市石引(現在の県立能楽堂横の敷地)に建築され、第二次世界大戦後は国や県の庁舎として使用されました。昭和43~45年には建物背面の講堂が撤去され、敷地内で曳家されました。国立工芸館の移転に伴い、令和2年に現在地に移築されました。
現在地への移築に合わせて、撤去された講堂部分や窓枠などの色が建築当時の姿に復元され、建物内部については、格子状の天井や漆喰の壁など、明治期の洋風建築の意匠が復元されました。
(…以下略…)」

あれ?移築したのではなかったのか?
文化庁のサイト「文化遺産オンライン」では1898年(明治31)竣工で、1909年(明治42)に現在地に移築したと伝えられている…と(現在も)書かれているし、私もこれを参考にした。

過去の書籍を調べると例えば、
「金澤偕行社 金澤市出羽町に在り今歳舊地より移して造築を増せり」(今歳=1909)
出典:「石川県案内記」(木村文太郎編/1909年)

「もと大手町にあったのを現在地に移築、修復された」
出典:「金沢の歴史的建築 その現状と保存に向けて(金沢市文化財紀要;57)」(金沢市教育委員会/1986年)

「この建物は明治31年(1898年)、その本拠地として大手町に建設されたものを、昭和42年現在地に移築されたものである」
出典:「石川の土木建築史」(石川県土木部編/1989年)
(注:この〝昭和42年〟は〝明治42年〟のミスだろう。)

と、金沢市や石川県も1909年に移築されたものだと記していた。

今回の移築修復工事では当然過去のことも調べただろうし、その上で案内板を作ったのだろうから、移築説は間違いだったということなのだろうか。
ただ、この案内板だけでそれを断言できないので、もう少し他の資料も当たってみる。

「年表金沢の百年 明治編」(金沢市史編さん室編/1965年)という書籍を見つけた。

そこから、偕行社に関する事項を抜き出してみる。

「1884年(明治17)陸軍金沢偕行社が創設された。(大手町)
 1906年(明治39)陸軍偕行社の移転問題が起り移転先の検討がはじまった。
 1908年(明治41)偕行社は出羽町練兵場の一角(成巽閣向い)に移築拡大することに決定した。(完成42年4月)
 1909年(明治42)出羽町練兵場の一角に新偕行社が完成した。(大手町から旧偕行社建物を移築し本館を増築したもの)」

1908年に偕行社の移転が決まり、1909年に旧偕行社の建物を移築したと書かれている。しかし、最後の一文が気になる。「旧偕行社建物を移築し〝本館を増築した〟」とある。
本館と呼べるのは現在の建物だろう。それを増築したということは、本館は1909年に新築されたということなのか? 大手町の偕行社は建物の規模が小さかったので「移築拡大」という話になったのであろうし、移築されたのは講堂か付属建物だったのかもしれない。

断定はできないが、そんな状況ではなかったかと推測する。
とりあえず私は、最新の説明板の表記を信じることにする。私のメインサイトには移築だと書いてあるので、後で変更しよう。

現在は「花と暮らす」という展覧会を開催している。6月22日までだ。
この写真を撮った日は私は見なかったのだが、別の日に見学した。

今回は建物の外観だけ確認する。
正面から見上げる旧偕行社。ここからは入れない。いや、展覧会を見る場合も会場は旧司令部だけで旧偕行社は管理棟なので、いずれにしろ偕行社の中は通常は見られないのだ。

側面。

後ろ側もチェック。右側が再建された講堂部分なのだろう。

講堂部分の全景。
近くで確認しないでしまったが、階段があるということは、1階の扉を開くことができるのだろう。もしかして壁の全面を開放できるのか?

説明板にある図を撮影した。緑色の部分が文化財の建物で、そこに鉄骨造りと鉄筋コンクリート造りの棟を接続して建てられている。

偕行社の2階には多目的室もあるので、学習会やイベント等で利用されることもあるのだろう。
機会があれば、中に入ってみたいものだ。

【関連記事】
旧第九師団司令部庁舎と旧金沢偕行社」(2018-06-03)
旧第九師団司令部のポップアップカード」(2020-08-05)

北陸地方

Posted by Sakyo K.