「古過庵」を見に行く
ここは長野県茅野市。
昨年、尖石遺跡で有名な尖石史跡公園のエリア内に「古過庵」という縄文時代の復元住居が建てられた。
設計・総監督は建築家の藤森照信氏で、昨年9月から11月にかけて10回ほどワークショップを行い国内外からの参加者が作り上げたのだという。

11月23日(日)は、古過庵建築一周年記念のイベント「古過祭」(主催:一般社団法人ちの観光まちづくり推進機構)が開催された。
当日は活動報告や藤森照信氏の講演のほか、火起しや弓矢などの体験も行われていた。
これが古過庵。
昨年建てた時は屋根がもう少し低かったのだが、今年改良してこの姿になった。

入口はこのようになっている。

住居の大きさは内径が約4m高さ約2mで、地面を80cm掘り下げてある。
柱や梁、叉首(屋根の骨組み材)はクリ材を使い、材の固定にはフジの根で作ったロープを使う。ヒノキの桟(屋根の下地)を組み、そこにシラカバやサワラ、スギの樹皮を張り、その上から土を被せた。
入口は狭いので腰を屈めて入る。
中央に炉があり、火が焚かれている。

内部の様子。
4本の柱が立ち、その中央に炉がある。住居の下部には竹を組んで張り巡らせてある。

上を見上げる。叉首を組んでその上から樹皮を張ってあるのが見える。
それにしても煙で目が痛い。

住居の前には、鹿皮の試着コーナーがあった。

当日、会場にはこのようなパネルが展示されていた。どのようにして住居を作ったのか写真を使って説明している。

柱は森の木を石斧で伐採し、柱を固定するロープはフジの根の蔓を使った。
縄文時代にあった素材と道具を使って作ることを原則として取り組んだようだ。
午後は藤森氏の講演。

講演会場は野外なのでスライド等はないため、この資料が配付された。
資料には日本だけでなく、北欧の土屋根の例も掲載されていた。

藤森氏は過去に何回か縄文時代の竪穴住居を建てたことがある。
そこで屋根材の茅を集めるのにとても苦労したのだという。鉄器がない状態で茅を刈るのは困難だということが分かったそうだ。
そこで復元された縄文住居の屋根が茅で葺かれていることに疑問を持った。
昔は縄文住居といえば茅葺き屋根の復元が主流だったが、これは1951年に静岡県の登呂遺跡で最初の復元住居が作られた時に茅葺きが採用されたのが始まりらしく、当時は屋根の素材は分かっていなかったらしい。
藤森氏は樹皮を使ったのだろうと推測した。それとともに、ユーラシア大陸北方で広く行われていた土葺きが日本にもあったのではないかと考えた。
講演は、資料の写真を見ながら北欧の土屋根の建物の説明に移っていく。
ノルウェーやアイスランドの住居の写真も興味深かった。
講演後、この記事を書くために縄文時代の住居について検索した。
全国には過去に作られた茅葺き屋根の縄文住居が残っているので、世間ではまだ茅葺き屋根のイメージが強いが、近年の復元では土屋根の復元が増えているそうだ。
岩手県一戸町の御所野遺跡では1996年(平成8)の調査で、焼け残った柱や屋根材と焼土のたい積状況から土屋根住居であったことが確認された。
富山市の北代(きただい)遺跡、福島市の宮畑遺跡、神奈川県相模原市の勝坂遺跡、山梨県北斗市の梅の木遺跡などでも土屋根の住居が復元されている。
私も縄文住居は茅葺き屋根のイメージを持っていたので、認識を改めたいと思う。






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