版画家 吉田博と吉田遠志

松本市の信毎メディアガーデンで開催されている「INTO THE WILD」( 版画家 吉田博と吉田遠志)の展示が5月29日で終わるというので、慌てて見に行った。
5月3日から始まっていたそうだがチェックしていなくて、開催を知ったのがつい数日前であった。

写真は会場の出口の風景。吉田博の版画がパネルになっている。

吉田博(1876~1950)は明治生まれの洋画家・版画家。
版画を始めたのは44歳で新版画の版元渡辺庄三郎と出会ってからのことで、以降、風景版画を制作している。

上の写真で使われている作品は、「日本アルプス十二題の内 槍ケ岳」という大正15年の版画の上半分である。
会場外にポスターが掲示してあったのでその写真も掲載するが、画面全体はこのようになっている。

画面の余白左側上部に、文字は見にくいが「自摺」と書いてある。(左上に"試摺"、そのすぐ下に"自摺")
大正時代は、自分で絵も彫りも摺りも行う「創作版画」が生まれた時代なのだが、それに対して浮世絵の技術を生かして分業で制作する「新版画」も発展した。
吉田博は新版画の作家に位置づけられるので、基本的には彫師・摺師との分業をしていたはずなのだが、作品によっては自分で摺りを行ったのだろうか? 

しかしこれは、自分が摺りに立ち会って指示・監督した作品だという意味なのだそうだ。「自分が良いと思った作品に仕上がったのだから自摺りと言ってよい」という考えだったらしい。
私は「言葉の選び方が間違ってるじゃないんですか?」と思ってしまうのだけれど。

雑誌「浮世絵界」1936年9月号に、吉田博に聞き書きした文章が掲載されている。その中で彼は、自彫自摺の版画は困難であり、大量製作するのはほとんど無理だろうと述べている。自分では「多くの場合、彫師摺師にやらせてゐる」とのことだ。

会場には写真の槍ケ岳の他にも日本アルプスシリーズの版画、それから日本各地の風景や、グランドキャニオンやマッターホルンなど海外の風景の版画もあった。
海外の風景では、グランドキャニオンの色がきれいだった。
全部で版画が24点、それから絵画が4点展示されている。

この展示ではもう一人の版画家の作品も展示されている。
吉田遠志(1911~1995)は、吉田博の長男である。父から油彩画や版画を学び、19歳のとき父とインド・ビルマ・マレーシアに写生旅行に出かけた。
1973年に東アフリカを訪れ、以後は世界を旅しながら、各地の動物をモチーフに版画を制作した。
アフリカの動物を描いた絵本のシリーズも出版している。

この写真もポスターを写したものだが、「ある日の東アフリカ No.2」という作品である。1991年の作品。

会場に吉田遠志の作品は16点あった。「ある日の東アフリカ」シリーズ、「キリマンジャロ曇天」「シマウマ」など、アフリカの動物たちの版画を中心に展示されていたが、1960~70年代のやや抽象的な版画もあり、私はそちらも良いと思った。

最後に、遠志が絵本の制作に対する思いを述べている文章を見つけたので、引用したい。1986年の「子どもの本世界大会」の冊子「JBBY」の中に掲載されている文章である。文の一番最後の部分だ。

「人間を批判するには、自然界の法則を良く知らなければならない。人間は此の地球を所有しているのではない。地球に属していて、動植物と一緒に共存共栄しなければならない。大人の世界は子どもにとって見本になる良いところは有るが、悪いところも非常にある。これを忘れては教育は出来ない。教育は教育者だけがするものではない。私たち全部の責任である。
 私が野生動物の絵本を書くのは、ここに自然界の法則に生きる動物の姿があり、共存共栄の法則が有り、動物たちの親の愛があることを理解させて、皆一緒に世界の平和に役立ちたいからである。」
(p28)

作品展は、5月29日が最終日なので、会期はあと1日。入場は無料。
会場:信毎メディアガーデン1階ホール(長野県松本市中央2丁目)

【参考】
・「浮世絵界」(1936年9月号 浮世絵同好会)
・「JBBY: Japanese Board on Books for Young People. 」(1986年4月 日本国際児童図書評議会)

【関連ブログ記事】 「ポール・ジャクレーと『新版画』」(2021.11.13)