群馬県立近代美術館

2023-04-27

昨年末の12月28日,建築家の磯崎新氏が亡くなった。
そのニュースを聞いて,夏に磯崎氏設計の群馬県立近代美術館を訪れていたことを思い出した。しかしブログにも何も書いていない。

そこで、8月に撮影した写真を並べてブログを書くことにした。
まずは県立近代美術館のある群馬の森の話から始めることにする。

公園入口にある案内図。

1968年(昭和43)は明治百年ということで日本政府は各種の記念事業を行なった。建設省では「明治百年記念森林公園」を建設することになったのだが、この政府方針に沿って日本の各地でも都市公園の充実を図るようになった。
群馬県も大規模公園「群馬の森」を建設することを決定した。公園内に県立近代美術館,歴史博物館を建設し,県民の憩いの場・文化教養を高める場として整備する計画だ。

公園の位置については,高崎市岩鼻町にある国有地「旧東京第二陸軍造兵廠岩鼻製造所跡未利用地」とすることを1968年に決定した。国との交渉により,群馬県に無償貸付をすることになった。

岩鼻製造所というのは1882年に操業を始めた火薬製造所だった。最初は黒色火薬の製造,1906年からはダイナマイトの製造が開始され、1945年まで黒色火薬・無煙火薬・ダイナマイト製造が続けられていた。

戦後、土地や設備は大蔵省の管理となり,その後南側の土地は日本化薬株式会社に貸与(1946)後払い下げられ,北側には日本原子力研究所高崎研究所が開所した(1964)。その間の土地に群馬の森を建設しようということになったのだ。

その跡地には既存の建物(例:綿火薬精製室、空気圧搾室,硝酸製造室など)が111棟、建築物に付属する工作物(例:水槽サイロなど)が57基あったので、1969年~70年度は解体作業が行なわれた。

1971年度から施設整備が行なわれ,美術館の建設も進められた。
建築計画の概要は次のようにまとめられた。

1,県立美術館の特徴・性格づけ
 (1) 地域社会に結びついた個性ある美術館として、本県出身画家(福沢一郎・山口薫・湯浅一郎)の特別室を設置する。
 (2) はにわ等を展示する「古代の部屋」を設ける。
 (3) 年数回の特別企画展を実施する。
 (4) 美術講座や実技指導を行なえるよう講堂・実技指導室を設ける。個展やグループ展のための貸館・貸室は行なわない。

2,開放的な建物の配置
 ひとつの建物に全てをまとめるのではなく、各施設を分散配置し,自然の森を取り入れた開放型とする。
 建物と建物を結ぶ中間帯には彫刻や芝生・噴水を配置し、屋外美術館としての性格をもたせ、内部と外部とを連係させる。
(以上、要約)

1971年11月に磯崎新を設計者に決定,翌年設計図が提出され,承認された。
1972年10月に起工式が行なわれ,竣工は1974年3月であった。
74年10月17日に開館記念式典が挙行され,翌日から展覧会が一般公開された。

以下は写真を掲載する。(2022年8月撮影)

公園西側の入り口から入ると,左側に美術館の建物が見える。この2階部分は展示室になっている。

美術館の前庭にある彫刻。

エントランス。入館するにはこのまままっすぐ進むが,左右の階段を昇ると上のテラスに上がることができる。

エントランスの屋上はこのようになっている。正面は1階がチケット売り場やミュージアムショップ,絵本の森,2階にはシアターがある。画面の右側に少し見えている屋根は、1979年に開館した歴史博物館だ。

左を向くと手前に見えるのがホール。その奥にあるのは展示室だ。

展示見学をしてから再び建物の西側に向かう。

ピロティの近くに来たが,近づいてみたらここには水が張られていた。

さらに西側へ回り込む。

北側は日本庭園となっていたが、奥まで確認しなかった。奥には茶室があるらしい。

私の訪問時には「うるわしき薔薇」の展覧会が開催されていたのだが、同時にピカソの「ゲルニカ」のタピストリが公開されていて,私はそちらを目的に訪問したのだった。タピストリは、ゲルニカを原画として,ピカソ自身が指示を出してほぼ原寸大に織り上げられたものだという。

実はそのタピストリを見たことも,半ば忘れかけていたのだ。行ったところ・見たことについて記録を残しておかないと自分でも忘れてしまうので、何らかの形で書き残すようにしたい。

【参考】
「群馬県の明治百年記念事業:群馬県明治百年記念事業実績報告書」(群馬県総務部管財課編/群馬県/1981年)
「明日への文化財」38号(文化財保存全国協議会編/1996年)

関東地方

Posted by Sakyo K.