神長官守矢史料館
長野県茅野市で「古過庵」を見学した後、同市内にある「神長官守矢史料館」へと向かうことにした。
守矢家は明治初期まで諏訪大社上社の神長官を務めた家である。
その文書を収める史料館としてこの建物が建てられた。

1987年(昭和62)の夏、守矢家から文書管理は困難であるとのことで文化庁を通じて、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館に守矢文書を寄託したいという要望が出された。
同館は諏訪で保存されることが一番良いのだが、その条件が整わないのであれば一時的に預からせていただくとのことだった。
同年の12月、長野県や文化財保護協会・信濃史学会らが協議して、守矢文書の保管施設を茅野市に建設して欲しいという要望が出された。茅野市は以前から守矢邸の補修にも力を入れていたので建設を決定し、藤森照信氏に設計を依頼した。
基本設計を藤森氏が行ない、習作舎の内田祥士
氏が設計・管理を担当した。
史料館は1991年(平成3)3月に竣工し4月に開館した。
屋根は地元産の鉄平石(板状の安山岩)で葺き、一階の壁は板張りで二階は土壁のようで、自然素材で作っているかのように見えるが、実は鉄筋コンクリート造りである。壁は藁を入れたモルタルを塗ってその上から土を吹きつけたのだそうだ。
館内の様子。
この壁も、藁入りモルタルを使っているのだが、見た人は土壁だと思ってしまう。

この展示は、御頭祭という諏訪大社上社の神事を再現したものである。現在は剥製の鹿の首で神事を行なっているそうだ。

二階には収蔵庫があるのだが、そこに上がる階段は跳ね橋のように上げられており、歩く時にはこれを下げることになる。
下半分の階段を歩きたかったが、立ち入り禁止だった。

玄関横の板張りの壁。

横に回り込むと建物はこのような形をしている。右側が玄関だ。
上から見ると、長方形の一階建て部分に正方形の二階建て部分をななめに接合した形だ。
おかげでトイレは三角形の部屋になってしまった。なんとかならなかったのか、使いにくい…。

史料館の南側は丘になっており神社がある。

神社から20メートルほど先、もう一段高いところに古墳があった。「神長官古墳」という説明板が立てられている。それによると7世紀頃に築造されたものだと推定されている。空いている穴は本来は入り口ではなく玄室の奥の壁だったという。時代は分からないが後に石を抜き取られてこのような形になったらしい。

丘を下りて、史料館の敷地から退出する。これは門の近くにある祈祷殿という建物だが、立入禁止になっている。

史料館のすぐ近くに、藤森氏の設計した高部公民館があるので、外観だけ見てみよう。
2021年に竣工した公民館だ。
史料館と同じように木が屋根を突き抜けている。こちらは建物の西側である。

外壁には焼杉が使われている。

玄関は東側にある。
ヒノキの皮むきや照明作り、屋根板の銅板をたたく作業などに多くの区民が参加したそうだ。

実は守矢史料館の近くには「高過庵」など藤森氏設計の建物があるのだが、今回は見ずに済ませてしまった。いつか見学に行こうと思う。
【参考】
「守矢文書の保存と活用について」(矢崎孟伯たけのり著/「信濃」第44巻12号掲載/信濃史学会/1992)
「家とまちなみ 別冊」1997年7月号(住宅生産振興財団/1997)
「茅野市神長官守矢史料館」パンフレット(茅野市神長官守矢史料館)
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