旧岡谷市役所庁舎

引き続き、岡谷市の近代化産業遺産を見ていこう。今回は旧岡谷市役所庁舎である。
この建物も普段は内部公開をしていないので、私が見たのは外観だけだ。

庁舎の向い側が蚕糸公園となっているので、そこから撮影した。
庁舎が建てられたのは1936年(昭和11)のこと。

明治〜大正時代に製糸業で栄えた岡谷市(当時は平野村)だったが、1929年(昭和4)の世界恐慌で翌年生糸相場が大暴落をし、製糸工場の倒産が相次いで失業者が大量に出た。農村は借金がかさんで税金が払えない状態だった。村の財政も苦しくなった。

平野村では、市制に移行した方が財政的にも行政的にも有利であるという議論が大正時代から出ていた。不況で切迫感が増し、製糸業一本ではなく多角的な工業都市を目指すということで、1933年(昭和8)から市制移行の話が具体化していった。
市制施行のための条件の一つに庁舎の整備があったので、当時の村長今井梧楼が製糸家の尾澤福太郎(1860-1937)に寄贈を要請した。尾澤はこれを快諾し(一晩で結論を出したという)、市庁舎を寄付することになった。

庁舎の設計は、長野県営繕課が行なった(1935年3月〜)。6月に着工し、1936年3月に
村に寄贈された。これに対して村は尾澤福太郎を表彰するため銅像を建てることを決めた。

3月31日に新庁舎に移転し、最後となる平野村会を開いた。翌日岡谷市が発足した。

建物は1987年(昭和62)まで市役所として使われ、その後は消防署として2015年(平成27)3月まで使われた。2005年(平成17)には登録有形文化財に登録され、2007年(平成19)に近代化産業遺産群に認定された。

1936年に出版された「岡谷市勢要覧」から写真を引用した。建物の外観も銅像の位置も変わっていないようだ。

建物の周囲を歩いてみよう。
庁舎は正面がほぼ南側を向いているが(南南東と言った方が正確)、東側に回ってみた。

建物の背面(北側)。

庁舎の西側は、建物が背面に延びている。

西側の道路から。

西面の出入り口の一つ。(もう一つ、小さなドアもある。)

正面には石が2つ。
手前の石は、近代化産業遺産群めぐりの道標。あるき太郎というのは武井武雄の作品のキャラクター。
奥にある石は、群馬県富岡市で産出した三波石という石。岡谷市と富岡市が姉妹都市となって5周年の記念に富岡市から贈られたもの。

正面玄関。玄関内側に、一般公開していないという看板が立てられていた。
数年前に映画のロケに使われたこともあり、2023年に見学会が開催された時は3日間で700人以上の申し込みがあったそうだ。

建物は2022年(令和4)に劣化度調査が行われ、2024年に耐震補強工事が実施された。耐震壁を4枚設置し、床はリノリウムを剥がして板張りに復元したそうだ。消防署が移転した後、現在は1階の一角におかや文化振興事業団の事務所が置かれている。

今後の活用について市で検討しており、見学会やメンテナンスを体験するワークショップなどを計画しているようだ。
ウェブ上で建物内を巡るデジタルコンテンツも制作するという。(2026年の公開を目指している。)

【参考】
「岡谷市史 中巻」(岡谷市/1976)
岡谷市旧市庁舎、バーチャル見学 来年度公開へ」(長野日報/2025-05-22)(※冒頭のみ閲覧可能)

甲信越地方

Posted by Sakyo K.