旧会田中学校管理棟(2)

松本市にある旧会田中学校の校舎が今年度中に解体されることを新聞記事で知った。10月18日にはお別れ見学会が開催されのだが、私は見学会が終わってからそれを知ったので参加できなかったのだ。

見学会を逃してしまったのは残念だが、ともかく解体前にもう一度姿を見ておきたいと思い、再び訪れた。前回来たのが2月末なので8ヶ月ぶりである。
玄関前を撮影しようとしてすぐに気づいた。以前はあったはずのものがなくなっていたのだ。

前回訪れた時には、玄関前に石碑が立っていた。

左側の明るい灰色の石碑は、開校50年を記念して2006年に立てられた「四賀村立会田中学校跡」の石碑だ。新校舎に移ってから立てられたので「跡」という文字が付いている。
右側の小さな黒い碑は、学校の標高と緯度経度を記したものだった。
これらの石碑がなくなっていたのだ。

それから、校舎の南側にあった木がだいぶ伐採された。
2月は駐車場から校舎がよく見えなかったのだが、今回は校舎が見やすくなった。

駐車場を歩いていくと、奥の方に石碑があった。
おそらく、校舎を解体して更地にしたあとにこの石碑をもう一度立てる予定なのではないだろうか。そのために一時ここに置いてあるのだろうと思う。

石碑の撤去も木の伐採も、既に解体に向けて作業は動き始めたということなのだろう。

駐車場から校舎の全景が見える。

学校が使われていた時は、この駐車場の位置に1956年に建てられた第4校舎があり、現在残っている第3校舎(1953年築)と渡り廊下で接続されていた。中央に見える階段が、渡り廊下のあった場所だ。
第4校舎の壁はモルタル塗りだったので、渡り廊下の工事をした時に第3校舎の壁の一部もモルタル塗りにしたのではないかというのが私の想像だが、もしかしたら窓をサッシに換えた1976年の工事なのかもしれない。(未調査)

校舎の周囲を歩く。ここは東北側の角。
屋根の一部が崩壊している。

窓ガラス越しに、内部を撮影してみた。

これもガラス越しに撮影。写真の奥が南側で、第4校舎に続く渡り廊下があった位置だ。

北側には外階段が設置されている。もう壁はボロボロになり、サッシも斜めに傾いている。サッシが外れたのではなく、サッシの下側の壁が腐って内側に陥没してしまったように見える。

ここは玄関の横の壁。このサッシのところには第二校舎につながる渡り廊下があった。

玄関部分。この姿が見られるのも残りわずかだ。

玄関のガラス越しに内部を撮影した。
立入禁止のテープが張られているのは見学会の時に壁が崩壊しているところを避けるためなのだろう。左側の斜めになっているサッシのところは、明らかに下の壁が内側に倒れかかっている。

私は市民タイムスの記事で解体を知ったのだが、この記事にはそれぞれの校舎が解体された年も書かれていた。
2000年に第2校舎と第4校舎を解体、2016年に第1校舎を解体したのだそうだ。
第3校舎の解体は11月か12月に始まり、年度内(2026年3月まで)には更地になる予定だという。

中に入ることはできなかったが、最後の姿を見ることはできたので良かった。
でも今回は建物よりも印象に残ったことがある。
撮影している時にご近所の方とお話をしたのだが、「解体すると聞いたので撮影に来ました」と言うと「来てくれてありがとうねえ」とのお言葉。
これを聞いて、校舎は愛されていたんだなと感じた。

【参考】
 「四賀地区・旧会田中の木造校舎が老朽化で解体へ 18日お別れ見学会企画」(市民タイムス 2025-10-03)

【関連記事】
 「旧会田中学校管理棟」(2025-02-25)