文化の日の軽井沢 (3)

前回の記事から時間が経ってしまったが,文化の日の話の続きである。
最後の見学地、追分宿郷土館を見学している。
そこで私が見つけたのは…。

(当日は建物の写真を撮れなかったので,この写真は12月に撮影したもの。)

追分宿は古くから交通の要衝だったが、江戸時代に入って中山道が大改修され、参勤交代が行われるようになった頃から大きく発展をした。
展示室には、その追分宿にまつわる資料が展示されている。

私は江戸時代の歴史には弱いので,何に注目するのか視点も定まらずに眺めていた。展示物の時代が進み明治時代に入ってきた。この時代なら江戸時代よりは分かる…かな(?)。

五榜の掲示の高札が2点展示されていた。
(館内の写真撮影はできないので、模式図を載せる。文字の読み取りに自信がない部分は,展示の解説文に頼ってひらがなに置き換えた。)

五榜の掲示は5つ札があって,これはそのうちの2点だという。

はて?
内容よりも日付と最後の名前が気になった。長野県庁(縣廳)の発行になってる。
慶応4年(1868)にはまだ長野県はなかったはず。なぜ長野県庁の名前で出されてるの?

帰ってから検索すると「長野県」の名前で出されている五榜の掲示はけっこうあるようだ。

一例
飯綱町の高札(八十二文化財団のサイト)
内容は私が資料館で見たのと同じだ。このサイトによると1871年以降に「長野県が再発行した」とある。

長野市で五榜の掲示が発見されたというニュースが今年の4月に放送されていたのも見つけた。
SBC信越放送 2023年4月17日放送

画像で気になるところがあるので,サイトから画像を引用する。

上の中央と左の札。「長野県」と書いてあるらしいところだけ、色が違うように見えないか?

***

他の都道府県の例を探したところ,敦賀縣(現在の福井県)の例を見つけた。
福井県文書館学校向けアーカイブズガイド(pdfファイル)

これを見ると,最後の1行は削って「敦賀縣」に書き換えられている。

そうか、過去に掲示された高札の一部を削って、県の名前に書き直して掲示したこともあったんだな。
もしかしてSBCニュースで放送した長野市の高札もそうなのではないかな。

これらの結果を見て,県が発足してから同じ内容のものを再度掲示するように国から指示があったのではないかと私は推測した。

「慶応4年・長野県庁」という表記を見た時は,ちょっと「発見」をしたような気分だったのだが,調べてみるとあちこちにこういう例はあるようだ。
考えてみれば,紙じゃなくて板に書いてあるのだから,削って修正することは容易だよなあ。
もちろん、全ての高札が削って書き直されたわけではないだろう。以前の高札を処分してしまっていたら、新たに書き直すしかない。

でも、私にとっては刺激的で面白い文化の日となった。
これで、今年の文化の日についての記事は終りである。

最後に,追分宿にある高札場の写真を掲載しよう。
ここに五榜の掲示も掲げられたのだろうか。

ただしこの高札場は1983年(昭和58)に復元されたものであるが。

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