拾ヶ堰に沿って自転車で(3)
前回のつづき。
車から自転車を下ろして走ってきたので、どこまで走るにしても最終的には車に戻らねばならない。区切りのいいところまで行ったら折り返そう。
現在いる場所は「じてんしゃひろば」のトイレ近くの橋の上。写真は、東側を振り返って撮影したもの。
ではもう少し西へ進みます。
しばらく直線が続く。
左側を見ると、柵のデザインが自転車だった。
公民館の角を突き当たり、橋を渡って右岸に移る。ところがそこで自転車道が消えてしまう。一般車道と共用だ。150mくらい進んだら、また自転車道は復活した。
車道との共有区間沿いにあった神明社。由来とか特に調べなかったのだが、神社の燈籠の脇に白い標柱があって「中堀郷倉跡・中堀学校跡」と書かれているのが目に入った。
自転車道復活。車道と平行して走っている。
少し進むと、左側の拾ヶ堰のフェンスに「中北分水口」という表示が出ていた。
ここが分水口なのだろう。水路が二手に分かれている。
左側の水路の先には水門らしきものがある。
水門の先を見ようと進んだら、右手に石碑が見えたのでこちらを先に確認した。
左にあるのは世界かんがい施設遺産に登録された記念の石碑だった。
世界かんがい施設遺産登録
日本国長野県安曇野市の千曲川水系に位置する「拾ヶ堰」を 先進的な設計とサイフォン建設技術を用いて事業を行なった地域住民の人力 水管理組織による維持管理及び二百年以上に亘る地域経済発展への貢献の卓越した事例であるため「世界かんがい施設遺産」に登録する
平成28年11月
国際かんがい排水委員会
右手の石碑にはこうあった。(漢数字は適宜算用数字に置き換え句読点を入れた。)
開削二百年の碑
本堰は1799年 寛政11年 中島輪兵衛等々力孫一郎らが計画に着手し、1814年 文化11年 松本藩に絵図面見積願書を提出し堰筋に杭打ちがなされた。1816年 文化13年2月に工事が開始され、5月には奈良井川の現在の頭首工を起点に梓川を横堰により横断し、総延長15キロメートル、平均勾配3千分の1という当時としては驚異的ともいえる短期間で完成させた堰であり、これにより恒常的に水不足に困窮していた安曇野が豊かな田園地帯へと変貌をとげたのである。
現在では豊科堀金穂高地域の800ヘクタールに及ぶ水田を潤すと共に、平成17年度をもって竣工した国営安曇野広域排水事業により整備された排水機能も兼ね備え、地域防災においても重要な役割を担っている堰である。
開削二百年を迎えるにあたり先人達の成し遂げた偉業を讃えると共に先人達の想いを後世に守り伝えることを旨としてこの記念碑を建立する。
平成28年4月吉日
長野県拾ヶ堰土地改良区
ここへ来るまで知らなかったが、現在は用水路としてだけでなく、災害時に備えた排水路としての役割も兼ねているらしい。
そのことは、近くに建てられた看板で分かった。でもちょっと、この看板ときたら既に亀裂が入りまくってるんだけど。いつ建てたの。
看板の説明によると、戦後、水田の畑地への転換・都市化など土地利用の形態が変化した結果、地域の保水能力が低下し、雨が降ると大量の雨水が流出するようになったという。そのため排水路を整備したのだそうだ。
事業の名称は国営安曇野農業水利事業、平成7年度から始まり平成17年度に完了したとある。石碑に「国営安曇野広域排水事業」とあったのはこれだろう。
橋の上から東を振り返って撮影した。目の前の水路は、先ほどの分水口で道路沿いに直進していた拾ヶ堰の本流である。このままさらに西へ流れ、その先で大きく北へ曲がる。
少し場所を移動して、同じ水路を横から撮影。この写真で橋に見えるのが、一つ前の写真の水路=拾ヶ堰なのだ。川の上を水路が渡っている。下を流れているのは万水川(よろずいがわ)。Google Map の英語表記を表示すると Manmizu River なんて書いてるが(10月23日現在)違うから。
万水川はこの先、有名な わさび農場の方へ流れていく。
時間的にもそろそろかなと思い、私はここで区切りをつけて切り上げることにした。
近くにあったこの建物は、安曇野地区排水監視所。安曇野・松本行政事業組合、安曇野地区広域排水事業所の表札も並んでいた。
あ、飛行機だ。(写真の一部分を切り抜いてます。実際はこんなに大きく見えません。)
帰路は堰の左岸を戻っていく。(100mほど走ると来た道と合流した。)
先ほど見えた水門を確認。
銘板を確認したら
4号調整工
形 式 無重力水位調整ゲート
純径間×扉高 3.500m×3.200m
門 数 1門
形 式 電動ローラ2段式ゲート
純径間×扉高 3.300m×3.000m
門 数 1門
設 置 年 月 平成17年3月
施 工 豊国工業株式会社
と書かれていた。
平成17年の設置だから、この水門は国営安曇野農業水利事業の一部として建設されたのだな。大雨や洪水時には、水門を開いて拾ヶ堰から万水川へ水を流すというわけだ。
ここは「じてんしゃひろば」より少し東の風景。右側の水路はあとで地図を見たら「勘左衛門堰」だった。現地で確認しないでしまったが、この堰は拾ヶ堰と合流せずに、逆サイフォンで下をくぐって交差している。ここにも逆サイフォンが。
駐車場に戻り、自転車を積み込んで次の予定地へ向かった。
以上で私の拾ヶ堰ツアーは終了です。半分くらいしか走らなかったけど。
機会があったら残りの区間を確認したいけど、できれば次は桜の季節に走りたいな。
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「再び拾ヶ堰へ(1)」(2021.06.26) 翌年、再訪しました。
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