ポップアップカード(ウクライナの教会)

2022-10-17

ロシアのウクライナ侵攻が続いている。武力行使なんて止めるべきなのに。破壊と殺戮ばっかりで、何も生み出さない。
そんな状況を見ながら、ウクライナの建築のポップアップカードを作った。

写真のカードは、チェルニーヒウにあるプヤトニツァ教会がモデルである。

チェルニーヒウは、ウクライナの北部にある都市で、チェルニゴフと表記されることもある。隣国のベラルーシとの国境まで70kmくらいのところにあり、今回ここにもロシア軍が進攻して戦場となってしまっている。

チェルニーヒウは、11世紀から13世紀キエフ大公国の分国であるチェルニーヒウ公国の中央都市として栄えた。
今回作成したプヤトニツァ教会は、その時代に建築されたものだとされている(12世紀後半から13世紀初頭だと推定)。
チェルニーヒウは13世紀の前半にモンゴル軍の進攻を受けた。教会は要塞として使われたそうだが、大きな被害を受けたという。

16世紀初頭には、チェルニーヒウはモスクワ大公国が支配していたが、17世紀になってポーランド・リトアニア共和国の領土となった。しかし1648年にウクライナ・コサックの反乱によりへーチマン国家が成立し、1654年にはロシアの保護下に入った。
この時代になって教会は修復されたのだが、形は以前とは変わったようである。
さらに18世紀の火災後の修復や、19世紀前半の増改築で教会は姿を変えていった。

20世紀になり、第二次世界大戦時の爆撃で教会は大きな被害を受けた(1943年)。
その後すぐソビエトの手により修復が始められたが、調査の結果、教会の原形は12~13世紀に建てられたものであることが分かり、元の形に復元することになったのだという。しかし、どうやって復元できたのか興味がある。ウクライナ語のサイトで20世紀前半の写真を見つけたのだが、形がかなり違うのだ。推測の部分が多いのではないかと思うのだが、どうなのだろうか。

1962年に建物が完成したが、その後もまだ内装工事などが残っていたようである。
1967年、この教会の周辺区域は他の建物も含めて州立建築歴史保護区に指定された。プヤトニツァ教会は1972年に博物館として開館した。
1991年にウクライナが独立してから、この地区は国の保護区として運営されている。現在はウクライナ正教会の教会となっているそうである。

戦争被害を受けては建て直されてきた教会を、また破壊して欲しくない。ウクライナに平和が訪れることを願っている。

ポップアップカードの方だが、ちょっと塔屋部分を細かく作りすぎてしまって、このままでは型紙公開に向かないように思う。もう少し他のカードも作ってから、その中の一点を型紙公開しようと思っている。

【参考】(ウクライナ語のサイト)※すべて自動翻訳での確認です。
ЧЕРНіГІВ СТАРОДАВНіЙ「古のチェルニーヒウ」
Україна Інкогніта「知られていないウクライナ」(20世紀前半の写真と、爆撃後の写真あり)
24CITY ЧЕРНИГОВ(ニュースサイト)